「ハイジャールイム巨石遺跡」

「ハジャールイム巨石遺跡」
青の同門から徒歩で20分位で、またまた巨石遺跡がある。それが「ハジャールイム遺跡」だ。テントで覆われている。まず資料館で掘り出された遺跡の物を観る。ここの遺跡は5000年前のものだという。石の人形があった。頭部が欠けている。どっしりとした腰から下は女性を思わせるのか、それとも力士の蹲踞の姿なのか、今となっては分からない。(写真99:石の人形)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

遺跡の模型があった。内部は区切られていて何個かの部屋に分けられている。(写真100:遺跡模型)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

入口は門型になっていた。(写真101:門)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

(写真102:内部の部屋)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ここでも巨大な石を海岸付近から切り出してきて、人力で運び、築き上げたのだから、凄いパワーだ。この遺跡最大の巨石がある。(写真103:巨石)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

説明のパネルには巨石は縦3m横6.4mとあった。(写真104:パネル)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

外壁はどっしりしていて幾分内側に向かって傾いているのだろうか。(写真105:外壁)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

床の近くに穴が開いている。冬至の日の太陽がここから差し込むという。東京早稲田の穴八幡の「一陽来復」と一緒で冬至から太陽が復活し光が戻ってくることを示唆しているのだろうか?石に四つの穴がある。(写真114:女神の足跡?)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

上部が無くなっているので想像の域を出ないのだが、この四つの穴に二人の女神が立っていたと考えられているらしい。(写真113:想像上の女神)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

余りにも想像力が逞しいお話しだ。この遺跡の更に海側に別の巨石遺跡があるが、未公開となっていた。
旧市街に戻り、自由時間。ベンチに座っていたら、目の前にポールが立てられていた。今ここでは「バロック・フェスティバル」が開かれていて、その幟を立てるポールなのだが、根元は木を打ち込んでいた。(写真107:ポール)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

テンポラリーだから、まあいいか。郵便受けの部分を陶器で造ったものを販売している店があった。比較的可愛らしいものだった。(写真108:陶器の郵便受け)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

夕食は、旧市街地のレストランで最初は「ペンネ」。(写真109:ペンネ)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

メインが「白身魚」だった。(写真110:白身魚)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

旅行最後の夕食も終わった。

「最終日のフリータイム」
1月14日土曜日。午前中はフリータイムだ。バスでヴァレッタの対岸「3CITIES」まで行く。ここからはヴァレッタに渡るフェリーやゴゾ島へも行くフェリーが出ている。(写真1:対岸)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

(写真2:対岸)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

(写真3:対岸)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

気温15度ということだが、風が強い。波も高い。沖を船が行く。(写真4:船)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

マルタの車だが、半分は日本車のようだ。トヨタが勿論多いが、ホンダ、マツダも結構走っている。ヨーロッパでもここは日本車が強いようだ。ヴァレッタ対岸から海岸線に沿って歩いてホテルまで帰ることにした。やがてホテルのあるサンジュリアン地区が見えてきた。(写真5:サンジュリアン地区)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ランドマークになっているのが、マルタ一高い建物「アルカーディア」だ。金色の高い建物なのでよく目立つ。海岸のプールでは何人もが泳いでいた。寒かろうに、感心しました。面白い猫の像があった。(写真7:猫)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

実はマルタには猫が多い。多分野良猫ではないかと思うが、それとも飼い猫なのだろうか?いずれにしてもあちこちで猫を見た。(写真:マルタの猫)マルタ2
犬の散歩もかなり見た。大型犬が多かった。その分、犬の忘れ物も結構落ちていた。漸く有名レストランの「バラクーダ」の前に来た。(写真8:レストラン)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

いつか来ることを期待しよう。(写真9:レストラン)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

スーパーマーケットに地元で有名な赤ワイン「カラヴァッジョ」があった。(写真10:ワイン)
OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

日本円で1000円程度の安いワインだった。スーパーの肉売り場には「黒毛和種」(日本語表記)という牛肉があり、1kgで250ユーロで売られていた。一般的な牛肉はヨーロッパ産だったが、ほぼ10分の1程度でそれでも霜降りの綺麗な和牛種が売られていたのには驚かされた。和牛の需要はあるようだ。赤身がいいか、霜降りがいいか、まあ個人の好みだが、それでも普通のスーパーに売っていたのだから、和牛恐るべしだった。
マルタは第二次世界大戦中はイギリス領であったから、北アフリカのドイツ軍への前線基地だった。砂漠の狐、ロンメル将軍攻撃への拠点だった。考えてみれば、地中海文明はこの島に何を与えたのだろうか? 大昔はフェニキア人が、次にギリシャ人が交易の基点として地中海を行き来した。その後ローマが、カルタゴが、イスラムが、西欧が、度々その主を変えて現われた。地中海文明の交差点であったこのマルタ。
いよいよマルタを去る。今度はマルタからドバイは直行だ。帰りは約4時間でドバイへ。ドバイから成田へは殆ど寝ていた。追風で約8時間で成田だ。到着2時間前に食事。オムレツにした。(写真11:オムレツ)
エミレーツ航空は確かにサービスも料理も良いといえる。ただ、一応JALとはコードシェア便になっているが、JALのワンワールドに属していないのでマイルも貯まらない。エミレーツ独自のマイルを持っているので私には利用価値がない。まあ、無事に日本に帰ったのだが、兎に角寒いのは驚いた。15日日曜日の午後5時に成田到着。
翌日、16日の早朝愛犬の散歩に午前6時から出掛けたが、豊洲公園には「氷」が地面に貼っていた。(写真:氷)路上の氷
また、土の部分には「霜柱」が出来ていた。(写真:霜柱)霜
この時の気温は零下1度だという。寒過ぎでした。実はマルタに行く前からのどの具合が悪く風邪気味だったが、マルタで完全に悪化してしまい、薬服用して対応してたが、結局よくならず、帰国したら更に悪化してしまった。最近風邪になりやすい。昨年も11月に1ヶ月近く風邪が治らなかった。今度ももう2週間以上続いている。体力の低下をしみじみと感じている。