「都内でも紅葉が」

「漸く都内でも紅葉が」
自宅前の越中島通りでも漸く紅葉らしきものが見え出した。色付く木の葉が散っている。(写真:都内の紅葉)

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時間があれば、近々「六義園」にでも出掛けようかと思っている。

「士農工商という身分制度はあったのか?」
実は最近読んだ本にあったのだが、「士農工商」というのは後の明治政府が徳川幕府を貶めるために作り出したものではないか?と書かれてあった。確かに「歴史は勝者によって作られる」の通りだから、その可能性は否定できない。朝廷は別挌として、支配階級は武士であり、それ以外は被支配者で、それを敢えて差を付ける必要があったとは思えない。だから明治政府が意図してそのような身分制度があったとした。それが御一新後は華族と平民に分けたのだから、皆ありがたいだろうとしたことの可能性はある。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?87」
身分制度の枠内では天皇を除く最上位が公家だ。更にその公家にも色々と挌があった。
「五摂家」
大化の改新を成し遂げた中臣鎌足、後の藤原鎌足を祖とし、藤原北家の道長を経て、忠通の子孫が分家したもので「近衛」「九条」「二条」「一条」「鷹司」の五家ことで、「摂政」と「関白」に昇任することが出来たので「摂関」「摂家」ともいう。因みに秀吉は、近衛家の養子になり関白になれた。明治維新後は、五摂家は「公爵」に叙せられた。公家は別名「堂上家」とも言われ、「摂家」「清華家」「大臣家」「羽林家」「名家」「半家」の総称であり、公家の家格の順序でもある。「清華家」は九家、「久我、三条、西園寺、徳大寺、花山院、大炊御門、今出川、広幡、醍醐」で、「大臣家」は三家、「羽林家」は六十六家、「名家」は三十家、「半家」は二十八家。因みに幕末に活躍した「岩倉家」は「羽林家」だった。

「スペイン旅行の仲間と」
4月に3S会のスーさんと一緒にスペインに行ったが、その時のツアーで知り合った方々、女性二人と久々にお会いして会食した。スーさんは来日客向けの英語ガイドの仕事が忙しい合間にお付き合いして頂いた。世間話に華を咲かせた1時間半だった。場所はいつも行く日比谷シャンテの柿安でした。(写真:ツアー仲間と)

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手前左が私、奥がスーさん、右からMさん、Aさん。皆さん元気。団塊の世代は頑張っています。