「寅さんの町へ」

「J  REPORT 2016 8月第3週」
「リタイアメント・ノート 8年2ヶ月目」、
「VOL。963号 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。
 sekoguti@aa.e-mansion.com

「寅さんの町へ」
本当に久し振りの柴又だ。多分10年以上前に来たことがあった。「柴又」駅に降り立つ。結構な人がいる。駅前には勿論「寅さん」の銅像がある。例の上着を肩に羽織って、腹巻に帽子とお馴染みのバッグを片手に立つ。(写真:寅さん像)寅さん1
早速記念写真を撮る人たちがいる。柴又駅前
そして駅前から続くのが「帝釈天参道」だ。途中に「常夜灯」があった。寄贈しているのは俳優の「渥美清」さんだった。常夜灯
実は何故この時期に柴又を訪れたか?というと、渥美さんが亡くなって20年目がこの8月なのだ。そんなことで久々に訪れたのだった。参道には「鰻屋」「料理屋」「土産屋」「団子屋」などが立ち並んでいる。(写真:参道)帝釈天参道
元々、柴又は江戸川沿いの川魚料理の町であると共に、帝釈天の門前町なのだ。駅から数百メーターで帝釈天に着く。兎に角暑い。気温は35度以上だろう。そして快晴の空ときた。(写真:本堂)帝釈天本堂
映画ではこの寺に「御前様」がいたなあ等と思いながら、お参りをする。(写真:境内)帝釈天境内
「瑞竜の松」という大きな松が境内にあった。見事な松だ。(写真:松)帝釈天の松
汗びっしょりになって次の目的地「江戸川」に向う。途中に「川甚」という料理屋が見えた。まだ子供たちが小さかった頃だから、30年以上も前のことになるが、家族でこの料理屋を訪れて「鯉の洗い」や「鯉こく」、「鰻」を食べたのを思い出した。(写真:川甚)川甚
確か明治の文豪の誰かが、小説の中でこの店の名前を出して食事をしたことを記していたと店の中に書かれていたはずだ。店の裏が江戸川の河原だ。そこには「矢切の渡し」があった。渡し
広い江戸川の河原の向こうはもう松戸市になる。川には数隻の船も浮かんでいた。小説「野菊の墓」を思い出した。暑いので渡し場までは行かなかったが、河原では野球をやっていた。熱中症に気を付けないといけない。私もペットボトルの水を飲みながらの歩きだ。鉄道の線路が見える。(写真:鉄橋)電車
鉄橋の手前には北総開発鉄道の「新柴又」の駅も見える。
さあ、そろそろ帰ろうか。柴又の駅でもう一度寅さんにご挨拶をした。(写真:寅さん像2)寅さん2
それにしても暑いなあ。