「J REPORT 2016 4月第5週&5月第1週」
「リタイアメント・ノート 7年11ヶ月目」、
「VOL。947&948 合併号 SINCE AUG.12th、1983」
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「旅暦66、三度目のスペインの旅」
最初に訪れたのは2008年8月、次男の住む「マラガ」に長女と共に訪れ、次男の案内でスペイン国内を1週間廻り、その後3人で「パリ」で1週間過ごした。二度目は2012年12月にツアーで「マドリッド」から「巡礼の道」を「サンチャゴ・デ・コンポステッラ」、そしてポルトガルを廻る旅だった。
今回は3S会の「スーさん」のお誘いで参加した二人旅だ。
「3度目のスペイン」
4月21日(木曜日)
いつもの如く3S会のスーさんと成田で合流して、スイス国際航空の窓口で席の変更を申し入れたが、全く聞かず、2席を残して満席なので駄目だと断られた。その後ANAラウンジで2時間ワインとおつまみで過ごす。勿論いつもの「蕎麦」を頼む。(写真1:掻き揚げ蕎麦)
今回は新メニューで「麻婆豆腐」もあった。辛くない麻婆でした。(写真2:麻婆豆腐)
スペインですが、まず最初が2008年8月、当時マラガに住んでいた次男の案内で私と長女で旅した。次がツアーでサンチアゴ・デ・コンポステーラに2012年12月に行った。そして今回が三度目だ。久し振りのエコノミークラスでの旅だ。
4月22日(金曜日)「バルセロナ サグラダ・ファミリア」
スイスのチューリッヒ経由でバルセロナに着く。夕方だ。午後7時過ぎだというのにまだ明るい。日没は午後8時過ぎだった。翌朝、早速散歩に出掛けた。目の前が病院で、バルセロナの郊外の丘の上のホテルだった。遠くバルセロナの市街地が観える。郵便ポストを発見。黄色いポスト、ヨーロッパのポストは黄色みたいだった。確かスイスも黄色だったと記憶している。(写真3:ポスト)
いよいよ観光に出発。まずはメインの「サグラダ・ファミリア」だ。2008年8月の時は暑くて疲れてしまい、私は教会の中に入らず、近くの公園のベンチで休んでいたのを思い出した。前回から比べてかなり色々な部分が追加されていた。正面、左手の白い部分は全く新しいものだった。(写真4:サグラダ・ファミリア全景)
兎に角観光客が多い。物凄い数だ。我々は団体専用入り口からさっと入れた。(写真5:スーさんと大聖堂)
驚いたことに日本人の若い女性が建築現場で仕事をしていた。後10年で完成らしいがご苦労なことだ。(写真6:日本人女性労働者)
正面入り口の上のファザードにはイエスの生誕の模様が刻まれていた。幼子イエスを抱きかかえる聖母マリアとその夫ヨゼフ。(写真7:聖母マリアとイエス)
凄まじい数の彫刻がなされている。(写真8:聖堂正面入り口付近)
日本人技師によるリリーフも正面ドアにあった。ツタだという。(写真9:ツタ)
聖堂の内部に入る。いやはや凄いスケールだ。巨大なドームだ。イエスの像が浮かんでいる。(写真10:イエス像)
両側にはステンドグラスの窓が広く設けられている。東側はブルーを基調に、西側が夕日の如く赤と黄色を基調にしている。日の出と日の入りだろうか?(写真11:東側のステンドグラス)
(写真12:西側のステンドグラス)
東の入り口から入って、西の出口から聖堂を出る。(写真13:聖堂出口)
この彫刻はイエスが十字架にかけられる場面が描かれている。(写真14:聖堂出口付近1)
(写真15:聖堂出口付近2)
その後、地下の博物館に行く。ガウディがどのような発想と力学上の構造計算を行ったのかを示す数々のものがあった。(写真16:ガウディ像)
当初の聖堂の設計イメージ図だと言われているものは、上部は輪郭も薄く、あくまで頭の中のイメージでしかなかったようだ。(写真17:当初の設計イメージ図)
1900年の「パリ万博」に出された聖堂の模型が残っていた。一部壊れて復元されたものだという。(写真18:パリ万博用の模型)
中の戻ると高い天井が観えた。多分50m位の高さがあるのだろう。(写真19:聖堂の天井)
とてつもなく大きなものを造ろうと考えたものだ。約130年前のことだった。まだ300年はかかるとされていたのが、コンピュータの発達で10年後には完成するというから凄い話しだ。巨大は塔がにょきにょきと立ち並ぶ姿に観光客は感激感動する教会でした。