「北東北の旅、角館」

「J  REPORT 2016 2月第1週」
「リタイアメント・ノート 7年8ヶ月目」、
「VOL。935 SINCE AUG.12th、1983」
ご意見ご要望等が御座いましたら、こちらへメールください。  sekoguti@aa.e-mansion.com

「北東北への旅」
「角館」
晴れ渡った東京から大宮へ向う途中に富士山が白い姿を見せていた。美しい姿だ。(写真:富士山)

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「JR東日本大人の休日倶楽部パス」での汽車の旅は今回も「3S会+one」の4人組だ。まず向ったのは「角館」。白河を越えると流石に雪景色となる。西日本は記録的な大雪だが、お蔭さまで東日本は晴れている。角館は江戸時代の武家屋敷がそのまま残るところだという。この季節はオフシーズンだから空いていた。(写真:武家屋敷前の通り)
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まず向ったのは「石黒家」。角館藩は佐竹・秋田藩の支藩だ。その佐竹北家と呼ばれる藩主に仕えて財用役や勘定役を務めた150石の家柄だったという。この地の武家屋敷の門は「薬医門」と言われる4本柱の門だ。薬医門の意味を聞いたが、説が幾つかあり、代表的なのは「矢を食い止める」という武家の戦いの意味から来たという説。もう一つは医者の門は急患のために常に開かれていたので、薬医門も常に開かれているのでそのように呼ばれているという説だそうだ。(写真:薬医門前の3人)
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この石黒家、明治維新後は上手く立ち回り、周辺の土地を買い集め、大地主になったという。隣接する屋敷は「青柳家」という家で、ここは60石から100石の石高があったという。時代により上がったり下がったりしたようだ。この青柳家も商売上手で明治以降も大金持ちとして今に至っているという。石黒家の庭に大きな「欅」の木があったが、これは武士としての立身出世を願って植えられたものだという。願いは真っ直ぐに天高く伸び出世するので欅が選ばれたという。(写真:欅の木がある石黒家の庭)
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もう一つ意外な事を知った。「平賀源内」が約した「解体新書」の挿絵を描いた「小田野直武」がこの地の人だったということだ。小田野は青柳家とも婚姻関係にあり、絵師を志し、それが平賀に認められ解体新書を作成するに当たり挿絵画家として参画したという。(写真:解体新書の写し)
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(写真:青柳家)
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帰り道、強い風が吹くと、木の枝に溜まっていた雪がどさっと音を立てて落ちてきた。ちょっと驚く。やはり北国だと納得しながら歩く。(写真:木々の雪)
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酒蔵を探していたら、それに似たのがあったが、よく観てみたら「醤油醸造」と醸造は醸造だが、醤油と味噌、麹の店だった。試供品を頂いたが大変美味しいものばかりだった。後日ネットで買い求めてもいいかなと思った。
城に近い町が武家屋敷が立ち並ぶ町で、その次には町屋があり、大通りを挟んで意外に広がっていた。幕末の戊辰戦争ではこの角館藩は官軍側に付いたが、戦争の被害には合わなかったので武家屋敷群が残ったらしい。