「東京タワーもクリスマス衣装?」

「東京タワーもクリスマス衣装?」
朝、まだ日の出前、東京タワーがライトアップされていた。オレンジ色に光り輝く東京タワー。その上空の雲の若干赤く光っている。まだ地球の向こう側にいるであろう太陽からの光が上空の雲まで既に到達しているのだろうか?なんとも不思議な自然現象でした。(写真:東京タワー)
東京タワー1
「ララポートのクリスマス風景」
映画館を出て外を見たらララポートの庭にクリスマスのイルミネーションがあった。中々美しい飾りだった。(写真:ララポート豊洲のトナカイさん)

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(写真:ララポート豊洲にて)
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「朝焼けの美しさ」
そんなことを思っていると30分後には夜明けが訪れた。そして朝焼けの空に不思議な雲が出ていた。今が正に「短日」、その名の通り日が一番短い時期なのだ。江戸時代の時刻は基本は太陽が出る夜明けが「明け六つ」で、日の入りが「暮六つ」となる。明け六つと暮六つの間を六刻に分けた。従って一刻は約2時間なのだが、夏と冬とでは日の出、日の入りが違うので、それぞれの一刻の長さが違っていた訳だ。暦は月で、時刻は太陽で数えていたのが旧暦だった。(写真:朝焼けの空)
朝焼け

「江戸の庶民の生活は楽だったか?79」
「屏風絵、その1」
この屏風は江戸の風景を描いたもので「江戸東京博物館」の常設展に展示されていたものの一部だ。絵は手前に隅田川があり、浅草の賑わいが見られ、右手奥に上野寛永寺、不忍池などが描かれている。川の手前は向島だろうか?浅草は当時は江戸一番の繁華街で庶民が挙って通った街だったという。(写真:江戸の浅草界隈)

「泥鰌汁」
江戸の食べ物で「泥鰌汁」がある。今で言う「泥鰌鍋」だ。18世紀始めの文政時代までは泥鰌をそのまま丸のままを使う「丸煮」だったが、ある料理屋が泥鰌の頭も骨も臓腑も取り出した「蓋丸煮」を売り出して人気を呼び、江戸中に広がったという。今も浅草周辺には有名な「どぜう」の店が数多くある。私も昔は家族連れで両国橋東詰めにある「桔梗屋」によく行ったものだ。この店、戦前からあり、226事件の際は近衛兵を説得した将校たちが訪れたこともあったと聞く。勿論、桔梗屋では「丸鍋」も「抜き鍋」もありどちらも美味しい。寒くなってくると泥鰌鍋が楽しみだ。