「江戸城」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?79」
「江戸城」
徳川幕府で将軍の居城だ。江戸時代は「江城」(こうじょう)という呼び名が一般的だったそうで、「千代田城」とも呼ばれていた。これも両国の「江戸東京博物館」の常設展示場にある江戸城の模型だが、模型には幻の「天守閣」も復元されている。江戸初期にはあった天守は「明歴の大火」で消失しその後復活していない。地図で観ると天守の場所は「内堀」の「北拮橋」を渡った直ぐのところとなっている。今の国立公文書館の内堀の対岸に当たる。即ち江戸城の西北に当たる。天守の東側の黒屋根が「大奥」だ。広大な建物が連なっている。(写真:江戸城天守と大奥)

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江戸城の「天主閣」は実は3代あった。初代の天守閣は家康が造ったもので慶長12年(1607)完成した5重6層建てだったという。これが模型の原形だ。二代将軍秀忠により、初代は元和8年(1622)に取り壊され、二代目が再建された。更に三代将軍家光は14年後に三代目の天守閣を造りなおした。しかし、「明暦の大火」(明暦2年、1657)で消失してからは再建されていない。「天守台」のみ再建された。「明歴の大火」は、本郷のお寺で若死にした商家の娘の供養が行われていた。回向にと娘の気に入った振り袖を焼いているところ、強風が吹き、火の付いた振り袖が寺の本堂の屋根に舞い上がり出火した。これが原因で江戸市中を焼き尽くし約10万人以上の焼死者をだしたというものだ。別名「振り袖火事」として知られている大火災だった。城の東側に「大手門」がある。大手門を入った直ぐ右側が「二の丸」、今の「皇居東御苑」だ。(写真:大手門)
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「二の丸」にも大きな建物が数多くある。(写真:二の丸)
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大手門を入って真っ直ぐ進み、城を左に曲がり、桔梗門の手前から右手に登るとそこが江戸城の入口だ。ここからは大名は一人で江戸場内に入っていかなければならない。(写真:江戸城登城の入口)
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「松の廊下」
本丸御殿の大広間から将軍との対面所のある白書院に至る全体約50m、幅4mほどの廊下だ。ご存知、忠臣蔵の原因となった浅野・吉良の刃傷が行われた場所だ。(写真:松の廊下)
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「全景」
江戸城の天守閣と本丸と二の丸を含めた全景だ。本丸は政治の中心で各大名が詰め、将軍に謁見し、老中が政治を動かした場所だ。天守閣と本丸の間が大奥だった。女の城だった。(写真:江戸城全景)
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ということでそれでは実物を観に行こうということで皇居を訪れました。