「南部の旅、後記」

「南部の旅、後記」
ちょっと忘れたことがあるので追記する。まずメンフィスのレストランでエルビスが座った指定席の写真を入れ忘れたのでここで改めて挿入する。好物の「ピーナッツ・バターとバナナのホットサンド」と「ミートローフ」を食べに通った店で一番奥のテーブルがそうだということだった。皆ここで記念写真を撮るという。アメリカ人は本当に太っている人が多い。周りが太っているから、自分が太っていることに気が付かないのか?腰周りからお腹からどうしてあのように太れるのか?節制と言うことを全く気にしないのか?他人事ながら考えさせられた。(写真 エルビスのテーブル)

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今回の旅でエルビスの人生の一端に触れて、これまで知らなかったことを知り、エルビスのファンになってしまった。彼は貧しい子供時代を過ごしならが、ぐれずにそしてトップスターにまで登った彼の姿に感動感激してしまった。

「奴隷」
南部と言えば奴隷が労働の主役だったことは有名だ。元々ヨーロッパでは奴隷は当たり前にいた。ローマ時代でも奴隷は沢山いたが、それは労働力というよりも家事労働だったり、教育者だったりした奴隷も沢山いた。勿論征服民族で従わないものは奴隷にさせられた。それがアメリカのプランテーションでは肉体労働に特化した使われ方をされたため、アフリカからの奴隷貿易が急速に発展した。奴隷の子は奴隷と言う奴隷の連続性に繋がった。その後遺症は南北戦争後もつい最近までも差別として残っている。ニューオーリンズのプランテーション「オーク・アレイ」の豪邸の二階に面白いもの?特徴的なものがあった。場所は食堂。長いテーブルの真ん中の上の大きな「うちわ」のようなものがあり、これを部屋の端にいる奴隷の少年が紐を引き、団扇を揺らし続けたという。更に下には蝋燭があるからこの火を消さないように、且つご主人様たちに涼しい風を送り続けなければならないという苦難の労働を強いていたという。この地は実に暑いし湿度が高いから夏は大変だったろう。奴隷の子供も奴隷になる運命を背負っていたとは可哀相な人生が生まれた時から運命付けられていたのだった。(写真 巨大なうちわ)

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邸内を見学中の私。確かにここは蒸し暑い。気温は80度F、27度C程度だろうが多分湿度は80%はあるだろう。蒸し暑い空気に満ち溢れていた。写真は邸内の鏡に写る私の姿を撮ったものだ。(写真 私)
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