「山形蕎麦の旅」

「旅暦第136話」「山形蕎麦の旅」
JR東日本の大人の休日倶楽部パスを利用しての旅を計画した。当初は25日からの連続5日間の旅の予定でチケットを購入したのだが、急に病院の予約が入って来たので、初日は使わずに二日目からの旅にしたのだが、丁度体調不良の影響でびくびくしながらの旅になった。
梅雨時なので都内も曇り空だったが、福島から米沢に向かうと雨雲が低く垂れ込めて小雨が降っていた。(写真:A1)
山形盆地は田圃には苗が青々と茂っていた。(写真:A2)
今回訪れるのは地元の有名店「庄司屋」さんだ。山形駅から歩いて10分ほどなのだが、敢えてタクシーに乗った。いつトイレに行きたくなるか分からないので仕方がない。この店には実は2度目だ。もう10年以上前にも訪れている。大きな店で昼時なので非常に混んでいた。全て地元の人たちだ。次々とお客が訪れて来る。
頼んだのは「幻の天保そば」というもの。(写真:A3)
注釈によると江戸末期の天保期の飢饉の折に先祖が次の飢饉に備え蕎麦を俵一俵蔵に隠したという。それが近年発見され努力の末に発芽させることが出来たという。まあ観光客しか食べないようなものだろう。
兎に角腰がありかなり固く歯応えのある蕎麦だった。昔の人はこんな蕎麦を食べていたのだろうか?(写真:A4)
濃い目の出汁で食べるが、蕎麦らしい蕎麦だった。
途中で慌ててトイレに立つ。本当に体調不良だ。本当は板そばを食べたかったのだが、体調が悪くて量的に食べられそうになかったので幻の蕎麦に変更したという理由がある。
兎に角早く帰りたくなったという次第でした。
翌日は長野の松本に行く予定をしていたのだが、とても行けるような状態ではないので一日休日にして自宅療養で過ごすことにした。
そしてその翌日も米沢に行く予定もキャンセルして自宅療養とした。残念な蕎麦の旅でした。
「天保年間とは」
1831年から1845年で幕府の屋台骨が揺らぎだしていた時代で、老中水野忠邦が出した奢侈禁止令が主なものだ。時代背景としては、全国的な凶作、百姓一揆や大塩平八郎の乱、外国の脅威があり、贅沢を禁止するということで南町奉行に鳥井耀蔵を起用し庶民を圧迫した。また娯楽も禁止し、落語、浄瑠璃、講談を中止、歌舞伎を浅草裏へ移転もさせた。因みに当時の北町奉行は遠山の金さんだった。