「大地震」

急遽差し替えました。昨日(11日)午後の地震は長く続く横揺れだったが、我が家では被害はなかった。しかし家族の帰宅が遅くなったので多少の心配はしたが、携帯のメールで連絡があったのでその点では早期に安心していた。翌朝(12日)、快晴の中、いつもの愛犬の散歩で付近には若干の被害等が見られた。まず近くの運送会社のブロック塀の前には赤いスコーンが立てられ崩壊の危険性を示していた。また豊洲の超高層マンションでは機械式立体駐車場が故障したらしく、入口前に住民の車がそのまま置かれていた。管理人がいたので聞いたところ、駐車場の機械のレールが外れているという。更に芝浦工業大学豊洲キャンパスでは自転車が殆ど倒れていた。豊洲の運河は全く船が通行禁止のため、ガラスのような静かな水面が逆に印象的だった。付近の水門は完全に閉められ、高潮や津波対策が既に取られており、水門内部は守られていた。娘が浦安の勤務先から帰宅したが、事務所付近は道路が凹凸になり、また一部液状化で水が出ていたと言っていたが、江東区の深川・豊洲周辺はその点は大丈夫だった。追伸:我が家ではお風呂の水が揺れで溢れ出し、床を濡らしたのと、靴の箱が落ちてきた程度でしたが、昨日は工事用ヘルメットを被り、緊急持ち出し物を取りまとめて枕元に置いて寝ました。

「勝鬨地区の夜景」
有明の東京湾に新しい橋が架かったらしい。(注:まだ架かっていなかった。現在建設中の「東京ゲートブリッジ」でした)中央防波堤の先にあるらしいから都内で最も新しい橋ということになるのだろう。タクシーの抜け道になっているらしい。さて今回の話しは「勝鬨地区」の夜景。勿論その勝鬨地区の中心は「勝鬨橋」だ。永年に亘ってこの橋は隅田川の一番下流に架けられていた橋だった。それが晴海と豊洲を結ぶ橋や、更に下流に「レインボーブリッジ」が架けられてその座を終えた。嘗てはこの橋が可動式で跳ね上がり、その下を船が通過したことを知る人も少なくなってきただろう。先日テレビを観ていて驚いたのだが、昭和30年代に流行った言葉で「巨人、大鵬、卵焼き」の卵焼きと言う言葉を抜いて何が入るかという問いに今の10代の子供たちは50人に聞いて誰も答えられなかった。この言葉繋ぎは当時子供たちが好きなものを並べたものなのだが、巨人人気も衰えてきたし、大鵬という力士がいたことを知っている人も減った。卵焼きは変わらないものの時代の変化にはついてこられない状況ということだろう。勝鬨橋も何の橋だったか知る人は老人ということなのか?この橋が日露戦争勝利の記念に「勝鬨の渡し」というのが設けられ、その後橋が昭和になり造られたということを知る人はもっと少ないだろう。勝鬨地区には大きなビルが建てられ企業も多く進出しており、「地下鉄大江戸線・勝鬨駅」の混雑は凄まじいことは既にご存知だろう。

「愛犬のお話し」
映画「わさお」を観たのでついでに我が家の愛犬「もも」の話しをしよう。6歳?7歳?の「シーズの雌犬」なのだが、毎朝の散歩は基本的に私の仕事だ。晴れている日はいいのだが、雨が降ると散歩に出たがらない。雨に濡れるのが大嫌いなのだ。そこで仕方なく車で近くのスーパーの立体駐車場まで行って屋根のある部分を歩き回ることとなるのだ。他の犬は雨用の服を着て雨の中を散歩しているのにどうして我が家の犬は雨が嫌いなのだろうか?雪が降っても同様だ。「犬は喜び、庭駆け回り、猫は云々」というのは全く我が家のには通用しない。困ったものだ。最近「ペットロス」というのに悩まれる方がおられるという。これは愛おしいペットが亡くなった時起きるらしい。確かに愛情を持って子供同然に暮していたペットの不慮の死は本当に苦しいだろう。いつの日からかどこかで覚悟をしている必要があるとのことだった。

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