「J REPORT 2011 7月第2週号」
「リタイアメント・ノート 3年目1月目」 「VOL.692 SINCE AUG. 12th、1983」
「地震保険」
先日損保会社から手紙が来て、地震保険の請求書に印鑑を押すようにとの指示があった。理由は被災地「仙台」に持っているマンションの共有部分が一部損傷したことに対する保険適用だとのこと。まあ実質的に私の部屋は問題なかったようなのだが、屋上の水を貯めるタンクが損傷し、一時的に水道が使えなかったらしい。その他も若干の影響はあったようだが、もう全て回復しているはずだ。そして損保会社から電話があり、「保険金額の5%が支払われる」との連絡があった。えっ、驚き。5%だって?1000万円近くの地震保険に加入していたのでちょっと驚きの金額になったようだ。嬉しいやら楽しいやら。だが実質的には部屋の借り手には避難所に行った間の家賃を軽減したり、水が飲めないのでその分の補填をしたりと協力していたので、それ位の補償があっても当たり前と言えば当たり前か。まあ保険会社も数々の批判から学んだのだろう、自主的に請求を促してくれたのには大変助かった。
「物乞いの女性」
やはり日曜日も「有楽町電気ビル」の前に座っていた。ビニールのシートを敷き、その上に正座している。さて偶然翌日の月曜日に彼女が街中を歩いているのを発見。場所は歌舞伎座前。白のTシャツにスェットのパンツにサスペンダー、薄い緑色のナップザックを背負い、白のャbクスに茶色のビニールのサンダル履き、髪の毛はかなり白髪だが肩までの短め、肌の色は血色もよく、決して裏寂れているという感じではない。だが足を引き摺るようにしてゆっくりと歩いていた。年齢は60歳代か?あの姿を街中で見掛けて彼女が有楽町駅前で「物乞い」所謂乞食をしているとは決して思えない。「何なのだろう???」と疑問符が頭の中を駆け抜けていくのだった。