「碇」

豊洲と言うところは勿論旧「石川島播磨重工業」の東京ドックヤード跡地があった場所なので、あちらこちらに古い「碇」(錨)が置いてある。近くの佃島には江戸末期に勝海舟が始めた幕府の海軍操練所や造船所もあったところなので、この辺りは船に纏わる話題が多くある。「ララポート豊洲」にも古い碇はあるが、建造された船の名前を時期が刻まれたものもあり、現在の「IHI」の歴史の一端が分かる。ここから更に下流には「お台場」もあり、砲台が築かれていて、江戸末期の国防の一端を担っていたのだった。それから160年ほどの年月を経過し、今はもうこういったものでしか垣間見えない歴史の彼方になってしまった豊洲地区でした。

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