「暑い夏、終戦直前の20日間」

「J  REPORT 2023 8月第2週号」
「リタイアメント・ノート 14年2ヶ月目」
「VOL.1328 SINCE  AUG.12th、1983」

「走るな! 転ぶな! 風邪引くな!」が老人には大切らしいです。

「暑い夏、終戦直前の20日間」
今年は特に暑い夏だが、あの夏も暑かったのだろう。そしてまた終戦記念日がやって来る。そこに至る直前の20日間の歴史を振り返ってみよう。
1945年8月6日の広島原爆投下、8月9日再び長崎への原爆投下、そして8月15日の終戦。これに先立つ20日前の7月24日にベルリン郊外のポツダムで米英ソ連の3首脳(米トルーマン大統領、英アトリー首相、スターリンソ連首相)が会談し、日本への無条件降伏を迫る原案を作成し、米英中の3国の名前で宣言が発せられた。
私は2009年にポツダムを訪れ、数々の歴史的な写真や会議室を観た経験がり、歴史の重みを感じたものだった。
その宣言の主な内容は、
1:受諾がない場合は、米軍による日本本土攻撃で完全な破壊を行う。
2:戦争指導者の政治、社会組織からの永久追放。
3:日本の主権の本土への限定。
4:平和的な政権が樹立した時、日本占領連合軍は撤退。
5:天皇の地位。平和政権の樹立。その政府が再び侵略を意図しない性格を持つことが世界に納得された場合、現天皇の下に於ける君主制を含みうるものとする。
米国は日本占領支配に天皇制は必要としたが、英中は天皇制廃止の強い意見だった。
それ以前の2月4日にヤルタ会談が開かれ、チャーチル、ルーズベルト、スターリンはドイツの敗北後、
ソ連の対日参戦を決めて、代償として樺太、千島の帰属を認めていた。
ポツダム宣言を受けて日本側は7月28日に新聞発表し、黙殺するとした。その理由は、
1:ソ連の仲介による和平交渉の回答を未だ待っていた。
2:国体保持はどうなるのか不信を持っていた。
3:戦争遂行責任者は国民を信用していなかった。
4:本土決戦の準備をしていた。天皇は三種の神器を松代の大本営に移す決意をしていた。
5:軍部のクーデターを恐れていた。
8月6日午前8時15分=広島に原爆が投下された。その理由は米国は日本占領の主導権を握り、ソ連に対抗して極東地域の発言権を得るためでもあり、米トルーマン大統領は世界中へこのことを公表した。
8月9日午前0時、ソ連は陸軍158万人、戦車自走砲5556台、航空機3446機でソ満国境から一斉に攻撃を開始した。スターリンにとっては日露戦争敗北の復讐だった。何故米国はソ連の参戦を求めたか?参戦しないと戦争はあと18か月続き米軍の死者は100万人になると予想されていたからだった。
8月9日には長崎への原爆の投下がなされた。同日午前10時から最高戦争指導会議を開催、同様の会議はその後数時間おきに頻繁に開催されることになる。
ポツダム宣言受諾派=東郷外相、米内海相ら(彼は日独防共協定に反対、日米開戦に反対)
反対派=阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長
受諾するにしても条件を付けるか否かでももめる。
そして何度目かの会議の後に9日午後11時50分に御前会議で天皇の聖断を仰ぐことになる。
国体護持の一条件のみで受諾するという東郷案を天皇が了承したのが、日にちが変わった10日午前2時だった。
この時点でもまだ陸相ら強硬派は軍部の主戦派を抑えきれず、反対の意見を持っていた。
10日の午前中に連合国側に国体護持の条件で受諾する旨を伝えた。しかし、連合国からの回答は12日にあり、
1:天皇及び国家統治の権限は、連合国最高司令官の制限の下に置かれる。(実際の英語では従属するとあった)
2:最終的な日本の政治形態は日本国民の自由に表明する意志により決定する。
ここでまたまた政府内部での激しい論争になる。
13日の最高戦争指導会議でも聖断を再度仰ぎたいとする。
8月14日遂に最後の聖断となる。その要旨は、敵の占領は一抹の不安はあるが、戦争を継続すれば国体も国家の将来も無くなる。今停戦すれば将来発展の根基は残る。どうか賛成してくれ。陸海軍の統制もあろう。自分がラジオ放送してもよろしい。速やかに詔書を出して、この心得を伝えよ。戦局を収拾しなくては、国体を破壊すると共に、民族も絶滅する。この際は難しきをしのんで国家を国家として残し、また臣民の難苦を和らげたいと思う、とのことだった。
その趣旨を受けて受諾を連合国へと通知し、戦争終結を内外に公表し、詔書を完成させ天皇は録音室に入り、録音しレコードを2枚作った。その玉音放送はご存じの通り15日正午に発せられた。
この間も軍部の一部はこれを阻止しようとして、皇居を守る近衛第一師団長の森中将を殺害するなどの不穏な動きもあった。
こうして終戦を迎えたのだが、この大戦での死者数は何と310万人にも上った。実はその内の70万人は終戦直前のたったの20日間の間に起こったのだった。
今また、不穏な動きが世界中で起こっている。どうして人類は平和の大切さを忘れてしまうのだろうか?
日本もあの時の苦労を忘れ軍備拡張に動き回っているが、果たしてそれでよいのか?一度終戦時の混乱を思い出してもらいたい。

「8月の満月」
8月の満月の事を何と呼ぶのか知らないが、毎月の如く満月がやってきた。(写真:満月)
特に人間は月が好きだ。日本の国旗のデザインは太陽だが、多くの国では月が象徴的に国旗に示されている。明るい太陽より暗闇を照らす月の方を人間は好むのだろうか?