おわら風の盆

「J REPORT 2011 9月第3週号」
「リタイアメント・ノート 3年目3月目」 「VOL.702 SINCE AUG. 12th、1983」
「旅暦30 おわら風の盆」
台風12号が四国近畿地方を直撃しているにも関わらず9月1日から3日に掛けて行われる「越中富山は八尾のおわら風の盆」に行った。最終日の3日に照準を合わせて3日土曜日の朝東京駅を出発して、越後湯沢経由「ほくほく線」で富山までの旅に出発です。長いトンネルと越えるとそこはもう秋、稲穂が波打っていて収穫真近の田んぼは一面黄金の連なり。空は分厚い雲に覆われていて、雨こそ降っていないものの台風の影響が色濃く出ていた。やがて日本海に出る。夏の日本海は波もなく静か。「親知らず」の切り立った山が海に張り出している。平野部では新幹線の建設ラッシュで橋脚が林立していて2年後の北陸新幹線開通が待ち望まれる。駅前で昼食をしてから富山港近くの嘗ての「北前船」で栄えた豪商の家に行く。本当は「ライトレール」という路面電車に乗ればいいのだが、時間の問題もありタクシーで港へと北進する。「北前船廻船問屋の森家」というのがあり、約130年ほど前に建てられた建物が現存している。ご存知北前船は北海道と本州、そして関西地区を結ぶ船で色々な荷を積んで商っていたという。今で言うと100トンほどの船らしいが、一度の航海で現在の価値で1億3千万円ほどの売り上げあり、船の建設費約1億円をたった一回の航海で元を取ったという。だから日本海沿岸の港には豪商たちが一杯いた訳だ。その北前船は北海道には30日ほど、大阪には50日ほどの航海だったという。風任せ、波任せだったのだろう。北海道からは肥料となるニシンを、富山からは米を運んだという。さてこの家の前の街道は「北国街道」で江戸時代金沢の前田家の参勤交代の行列は2000人規模でここらを通過し金沢″]戸間を13日で歩いたという。その後没落した森家の建物は倉敷紡績の祖、大原さんが買い求め現在に至っているらしい。富山は安田財閥の祖、「安田善次郎」の出身地でもある。帰りは「ライトレール」で富山駅まで戻る。さあいよいよ八尾(やつお)へと向う。台風の影響で大阪と結ぶ「特急サンダーバード」は全て運休だという。これでは関西方面からの日帰り客は来ることが出来ないだろう。

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