ロシアの旅

「J REPORT 2011 11月第3週号」
「リタイアメント・ノート 3年目5月目」 「VOL.713 SINCE AUG. 12th、1983」
「旅暦36 ロシアの旅」
11月17日(木) 第一日目
成田を午前11時に出発して、ロシアのモスクワには現地時間午後4時(日本時間午後9時)に「ドモジェドボ国際空港」到着、約3時間の待ち合わせで国内線に乗り継ぎ、「サンクトペテルブルグ」へ、そしてバスにてホテルには現地時間午後10時半(日本時間18日午前3時半)と長い旅でした。モスクワの空港は周囲は白樺の林が延々と続く平原の中にあり、気温はマイナス1度。そしてサンクトペテルブルグは0度だったが、機内が暑くてむしろ気持ちよい気候だった。空はどんよりと曇り、時々雪混じりの冷たい風が吹く。しかし本格的なロシアの冬はこんなものではないのだろう。ここサンクトペテルブルグのこの前の冬はマイナス30度を越えた日もあり、2mもの大雪だったとのこと。そして今年の夏は猛暑で30数度にまでなったらしい。やたらと添乗員が「スリに気をつけましょう」と言う。「お金は分散して持とう」とかそんなに気にする必要があるのだろうか?それよりも「ホテルの部屋の中には荷物を出したままにしないでください。スーツケースに入れて鍵をかけてください」とのこと。旅慣れた私も仕方なくパャRンもスーツケースに入れておくことにする。今、日本時間午前4時半、普段ならばもうじき目覚める時間なのだが、腹が減ったので日本から持参した「おにぎり」を食べている。寝られるかどうか分からないが兎に角寝よう。

11月18日(金) 第二日目
駄目だ。時差のために眠れない。少しうとうとしたが、また起きだした。こちらの時間で午前4時(日本時間午前9時)だ。通貨「ルーブル」は成田で1000ルーブル=3010円両替した。余り使うつもりもない。喉が渇く。日本から持参した紙パック入りのお茶を既に4本、1L飲んでしまった。こちら、「サンクトペテルブルグ」は、第一次世界大戦後、名前がロシア語風に「ペテログラード」に、そしてレーニンの死後「レニングラード」に、更に・A崩壊で元の名前に戻されたという現在500万人のロシア第二の都市だ。川と運河と湖の町だというが、夜景も綺麗だった。ホテル近くには24時間稼動しているスーパーもあるし、ホテルの裏は海だというから、朝明るくなったら行ってみよう。話しは元に戻るが市の名前だが「ブルグ」はドイツ語の、「グラード」はロシア語の「街」を意味するという。だからここは「聖ペテロの街」ということなのだそうだ。最近風邪も引いたし体調もよくないので「禁酒」している。ほぼ「アルコール依存症」の私にとって禁酒は眠れないという副作用があるだけでお酒を飲まなくても問題はない(眠れないのが問題か?)が、眠れないからといって死ぬことはないだろうと思っている。それでは本でも読んで長い夜が明けるのを待とう。
こちら朝8時になったが、気温摂氏+2度、川から霧が発生していて視界不良だし、まだ真っ暗だ。取り合えず水を買いに行ってきたが、とても散歩をする雰囲気にはならなかったのでまっすぐにホテルに戻る。水は安いのを買った。1.5L入りで20.85ルーブル、約63円だ。フロントでインターネット接続サービスを垂オ込む。デポジットを入れて1時間200ルーブル、約600円と割高だ。デポジットなしだと1時間330ルーブル、990円だ。それにしても高いねえ。今日は市内観光第一日目だ。このホテルには後2泊する嵐閨B今日の最高気温は+10度との卵zだとか。暖かいねえ。風邪気味なので困っている。薬はちゃんと飲んでいるのだが、一向に回復しない。
朝、9時ホテル出発、「エカテリーナ宮殿」へ向かう。朝が明けたのは午前10時過ぎ、真冬だと夜明けが11時で日の入りが3時だという。イタリア人の建築家によるこの「夏の宮殿」と呼ばれる宮殿は流石だ。特に有名なのは「琥珀の間」だ。だがこれが戦争で破壊と略奪にあって今の部屋は復旧復元された新しいものだというのだ。がっかりした。市内に戻って豪華な寺院、教会、宮殿等を見学した。この街は18世紀初頭に「北のベニス」と称されたように「ネヴァ川」を挟んだ湿地帯に運河を張り巡らして建設されたという。今の主要道路は当時の運河を埋め立てたものだという。だから現在のこの都市の問題点は「交通渋滞」にある。川があり運河があり橋がある。従って道路は限られてしまう。そこへ湿地帯のため地下駐車場が造れない。道路わきに車は駐車されるから道路(全て駐車可)が余計に細くなる。そこへ突如として「車社会」が出現したとなれば交通渋滞以外にはありえないのだ。この街はヨーロッパを真似て6階から7階建ての石造建築物が規則正しく立ち並び、それは素晴らしい眺めだが、18世紀から19世紀には通用したものが21世紀には全く通用しなくなっているという事態に遭遇しているのだった。当然昔の建物だからエレベーターなどない。よって下の階のほうが天井が高くて家賃も高い。上に行けば行くほど安くなるのだそうだ。納得した。また、ここでは湿地帯のため育つのは「キャベツ」と「ジャガイモ」だそうだ。蛇足だが我々が「ダーチャ」として知っている所謂「別荘」とは、こちらでは花や野菜を栽培する家庭菜園の付属してあるb>「農具を入れる小屋」だそうで庶民が持っているものらしい。とても別荘と呼べるようなものではないのだそうだ。
さて「大祖国戦争」(所謂第二次世界大戦)でナチスドイツに900日に亘って包囲されたにもかかわらず耐え続けたを持つロシア人の象徴的なこの街は「プーチン首相やメドベイジェフ大統領」らの出身地でもあるという。
文化文明の尺度は「交通マナー」ではないか?と私は思う。「先進国と後進国の差」は正にこれにある。中国やロシア、韓国やエジプト等の交通マナーの悪さは民度の低さを示している。先進国になるためにはまず自国民を教育して交通マナーを徹底させることが肝要だろう。まずは「交通ルールを守る。歩行者、自転車等弱者優先」だ。ところでロシアではバイクや自転車が殆ど見られない。「停めておくと盗まれる」という問題もあるのだが、不思議な光景だった。ヨーロッパはある意味自転車天国だが、ロシアは全く違った。それと自動車のタイヤだがスパイクタイヤを履いていた。

11月19日(土曜日) 第三日目
今日は日がな一日「エルミタージュ美術館」内を巡る。ネヴァ川沿いに並び立つ大小の美術館群がそれだ。エルミタージュとはフランス語で「隠れ家」だという。400万点にも上る美術品の数々が今回の私の旅の最大の目標なのだ。約6時間、内1時間は昼食だったが、広い館内で特に有名な絵画等を堪狽ウせてもらった。とても一日で回れるものでもないし、本当ならじっくり観たかったが、時間の制約上仕方がない。夜はエルミタージュ劇場でかのチャイコフスキー作曲の「白鳥の湖」のバレーを観た。踊りは勿論演奏も素晴らしかった。リズミカルな音楽に合わせたバレリーナの繊細な動きと、一転して悲しい暗い曲に変わり動きも変化するこれらの微妙な対象は素晴らしいとしか言い得なかった。土曜日ということもあって家族連れも多く、小さな子供たちがたくさんいたのにも驚かされた。ロシアでは我々が日本で学習塾に通うように子供たちは音楽塾に通うという。だから楽器の演奏には皆長けているそうだ。そういった風習にも裏打ちされてこういった芸術が大勢の人たちに愛されているのだろう。
最近海外の観光地へ行くと目立つのが中国人観光客だ。地元の人からも我々日本人に対しても中国語の挨拶が掛けられるから、「東洋人といえばヨーロッパでは中国人」が代名詞になりつつある。今回のバレーにも多数の中国人観光客が来ていたが、そのマナーの悪さには参る。撮影禁止なのにデジカメやスマートフォーンで動画撮影を延々と行っている。それも集団でだ。今から30年も昔には日本人が同じような行為で欧米諸国民から軽蔑されていたのだろう。今の中国人の観光客は成年男子が圧倒的で女性は少ない。日本もその昔は「農協」の叔父さん達ばかりだったのだろう。今は日本人観光客のメインは女性陣だ。将来中国人もそうなるのだろうが、発展途上の今、海外旅行に行くのは中産階級以上になったばかりの男性たちなのだ。GDPで日本を抜いて世界二位とはいえ一人当たり所得では10分の1の中国はまだまだレベルが低い。運転マナーもそうだが、芸術鑑賞についてもう少しマナーが守れるようにならなければ、本当の意味で中国が大国入り出来たとは言えないだろう。勿論食事のマナーもだが。二日間ガイドをしてくださった地元の「クラーエフ・ヴァシーリィー」さん、本当にお世話になりました。スパシーボ!

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