「箱根駅伝」

正月3日に恒例の通り、箱根駅伝を観に行った。日本橋高島屋前の中央通りは両側共に沢山の観客で二重三重の人出となっていた。先頭の東洋大学アンカーの斉藤選手が苦しげな顔をしながら一瞬で走り去っていった。毎年必ず観にきているのだが、この駅伝と言うのは本当に劇的な展開になることがあるので、思わず見入ってしまう。急ブレーキが掛かり走れなくなる選手が出たり、今年もタイムオーバーで襷が繋がらなくなったりと、「事実は小説より奇なり」を正に現していると思う。ハプニングを期待して観ている訳ではないが、何が起きるか分からないドラマを観ているのと同じ気持ちにさせられることに間違いない。来年もきっと正月2日3日は箱根駅伝を観ているのだろう。

「救急車と歩行者」
数寄屋橋交差点はスクランブル交差点だ。歩行者が歩いている時にサイレンを鳴らして救急車が侵入してきた。すると歩行者は救急車を避けるでもなく、その前を歩いて行く。この感覚はなんなんだろう。更に信号が変わりそうだと走り出して救急車の直前を通過する者までいる。これはどういうことなんだろう。救急車が目に入らない訳でもないだろうに、自分のことを優先して、緊急車輌を無視するというのはどういうことなのだろか?私には理解出来ない。この感覚は自転車の運転にも通ずる。自転車に乗っている人も緊急車輌の無視ではなくて、歩行者を無視する。だから事故が起きるが、起きても悪いと思わない。この感覚はなんなんだろうか?救急車にもし自分ないし自分の身内が乗っていて命の危機に晒されているとしたらどうするのだろうか?歩行者に文句言わないか?自転車にぶつかられて怪我をしたら怒らないのか?「自分だけよければいい」という公共道徳の欠如は一体何がもたらせたのか?教育なのか、家庭なのか、それとも?

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