「木挽町」

江戸古地図を見てみよう。今の銀座三原橋から東側、昭和通りを越えて歌舞伎座を過ぎると高速道路がある辺りがその昔は「木挽町」と呼ばれていた細長い町で、そこは江戸時代は大名屋敷が連なっていた。今建設中の歌舞伎座は「諏訪 稲葉」と書かれているから大名の「稲葉諏訪守」の上屋敷だったのだろう。面白いものだが江戸時代の地図と今の地図と基本的には同じなのだ。当たり前のことだが、昔の道路や火除け地や川を利用して今の道路が造られているから、そうなるのだ。木挽町も1丁目から7丁目があり、銀座とほぼ対をなしている。だから歌舞伎座は木挽町4丁目ということになるのだ。「グーグル」の地図には東京版だけは古地図も合わせて観ることが出来るらしいが、私は古地図を手にしながら東京の町並みを歩くほうが楽しい。

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