「亀島橋袂の芭蕉の句碑」

東京駅から「八重洲通り」を真っ直ぐに東に向うと「八丁堀」がある。その先にあるのが「亀島橋」だ。昔はこの辺りに北町奉行所と南町奉行所に勤めていた「同心」という人たちが住んでいたという。所謂今の警察官たちだ。その橋の袂に「松尾芭蕉」の碑がある。そこにはこう刻まれている。
「八町堀を詠む 《菊の花 咲くや石屋の 石の間(あひ)》 芭蕉 50才 元・U年(1693)」
芭蕉はこの翌年亡くなっているし、この句は有名な句ではないので殆どの人が知らないと思うが、この句が八丁堀を詠むというのがよく分からない私でした。この八丁堀と言うところは賃貸で家を借りていた「儒者と医者」が沢山住んでいたそうだ。同心たちの家と土地は幕府から貸与されていた筈だが、貧しさ故か皆また貸ししていたようだ。江戸の名物に「伊勢屋、稲荷に犬の糞」というのとがあるが、これは伊勢屋という屋号の店が多かったのと、同様に稲荷があちこちにあり、道には犬の糞が沢山落ちていたということだそうだが、この八丁堀に多数の儒者と医者が住んでいたのも一つの名物のようになっていたらしい。関係ない話しかも知れないが、「八丁堀」という名の由来は江戸城の石垣を築くに当って伊豆辺りから持ってきた石垣用の石をこの地の沖「八丁」約850m先から陸揚げしたことによるらしい。そんなことからこの地にはひょっとしたら、石屋がありそれを芭蕉が詠んだのかもしれない。

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