東京の桜の名所巡り

「J REPORT 2012 4月第3週号」
「リタイアメント・ノート 3年目10ケ月目」 「VOL.735 SINCE AUG. 12th、1983」
「人工芝グラウンドと蝮谷(まむしだに)」
母校のアメリカンフットボール部専用のグラウンドが遂に「人工芝」になった。私が大学4年生の春、学校当局からそれまで使用していた日吉の通称「嵐が丘」グラウンドから立ち退くようにとの指示を受けた。当時、そこには「高校野球部」、「高校大学供用アメリカンフットボール部」、「大学自動車部」の3つのグラウンドがあった。そこに「工学部」の校舎を造るというのだ。そこで追い出しとなったのだが、与えられたグランドは通称「蝮谷」と呼ばれる谷の上の草むらだった。その丘の下には東海道新幹線が走っていた。そして丘には「ハンドボール部」のコートがあるだけで、後は一面笹が生えているだけだった。仕方なく、夏はその大半を部員達で「草刈り・開墾・グラウンド整備」に費やした。そして出来たグラウンドはたった「60ヤード」しかない中途半端なものだった。夏の暑い日、鎌や鍬、スコップ等で笹を刈る。これが地下に根をビッシリ張っていて中々大仕事なのだ。根を取らないとまたいつか生えてきても仕方がないので、兎に角掘り起こす作業ばかりの日々だった。それから42年、昨年から工事費1億2千万円、内学校側が半分、OBが半分負担しての工事が先日終了し、お披露目式となった。それでもハンドボールが移動した跡地を使っても全長110ヤードしかないのだ。アメリカンフットボールのグラウンドは120ヤード必要だ。だからエンドゾーンは本来の10ヤードづつではなく、ローカルルールの5ヤードづつという中途半端なものだ。だが練習をする分には問題ないだろう。人工芝は芝も長く柔らかく大変走り易そうだった。OBで寄付した人たちの「銘板」も出来た。勿論私の名前を刻まれている。因みに、「嵐が丘」というのは「日吉キャンパス」の北100mほどに位置する小高い丘で現在は工学部の校舎が立ち並んでいる。更に「蝮谷」というのは日吉の「記念館」の裏手の谷で「テニスコート」を中心にして各運動部の部室や体育館、風呂場等があり、我々のグラウンドはその谷の更に東側の丘の上にある。

「日本語の発音の今昔物語」
あるテレビ番組で昔、中国から入ってきた当時の漢字についての話しがあった。「三位一体」や「観音」、「天皇」等の発音なのだが、勿論中国から入った漢字は当時の「呉」の国の発音「呉音」が日本では用いられていた。「三位(さんみ)」は本来は「さん・い」と発音されるもので、同様「観音」も「かん・おん」、「天皇」も「てん・おう」と発音されるべきだったそうだ。それが当時の日本人にはこの分裂した発音が出来ず「ん」の音に次の音がくっついてしまった発音になったというのだ。どうしてなのか?理由は分からないが、発音はやはり時代によって変化していくものなのだろう。韓国映画を観ていると字幕の「漢字」部分の韓国語での発音は殆ど日本語の発音と同じだ。恐らく中国から持ち込まれた漢字と同じ発音が語源なのだろう。江戸時代の江戸の人たちは「ひ」が発音出来ず「し」になっており、それは最近まで東京下町育ちの人たちに受け継がれていた。それから面白いのは「日本製の漢字」が実際に中国でも使われているという話しだ。外来語の「インフォメーション」を「正岡子規」が訳して「和製漢語」として「情報」という言葉にしたが、これが中国にも伝えられ中国語でも「情報」という造語が出来たという。なんと面白い話しではないだろうか。大昔に中国から亘ってきた漢字が逆に日本から中国に輸出されたというのは愉快な気分にさせられる。

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