仮名手本忠臣蔵

「J REPORT 2012 5月第1週号」
「リタイアメント・ノート 3年目11ケ月目」 「VOL.737 SINCE AUG. 12th、1983」
「仮名手本忠臣蔵」
この歌舞伎は、寛延元年(1748)8月14日に大坂で上演されたと記録にある。歌舞伎史上最高傑作となったこの作品、作者は「二代目竹田出雲」だ。「曽根崎心中」で有名な「近松門左衛門」の弟子だ。事件はこれより46年も前の元・P4年3月14日(1701)のことだった。徳川幕府を慮ってこれまで舞台化されていなかった。作品の時代設定を「足利幕府の時代の鎌倉」に変えての11段たての大作となった。事件が起こったのは「元・?v、将軍は5代目「綱吉」、史上最悪の将軍の時代だった。ご存知「生類哀れみの令」という悪法で知られている将軍だ。「松の廊下」で事件が起きるまでに何があったか、今もって分かっていないが、事件を聞いた将軍が即断即決で「切腹」「浅野家断絶」を命じたということは知られている。「癇癪持ち」と評判だった将軍だったから、本来「喧嘩両成敗」が当然だったのだが、激怒してそれらの処置が即決められてしまった。まあ、それがあったから「討ち入り」が起き、「忠臣蔵」が出来たともいえるが、怪我の功名かな?不思議なことにその後も殿中での刃傷は度々起きている。全て襲われた者は殺されている。浅野内匠頭だけが失敗したのだった。討ち入りの時は所謂「大名火消し」の装束で赤穂浪士たちは扮装していた。火消し装束ならば夜中に市中を歩いても文句や言われまい。装束の下には「鎖帷子」を付けた完全防御体制だ。寝起きを襲われた吉良邸の人たちこそいい迷惑だっただろうに。

「孫はやさしい」
これは健康的な生活を送る上で必要な食べ物を略したものだそうだ。NHKラジオ第一放送の「ラジオ朝一番」の「健康ライフ」という番組で聞いたのだが、出処は東京の「愛育病院の皮膚科部長さん」だ。妊婦さんが胎児のために摂取に必要なもので、覚えておくと良いとのこと。当然全ての人にも当て嵌まる訳だ。「ま」=「豆」、「ご」=「ごま」、「は」=「わかめ(即ち海草類)」、「やさ」=「野菜」、「し」=「しいたけ(キノコ類)」、「い」=「いも」。妊婦が胎児のために食べる「皮膚によい食生活」というのがこの「孫にやさしい」の狙いだそうだ。まあ、正に孫に優しい食生活だ。「やさ」を野菜ではなく「や=野菜」と「さ=魚」に解釈するという説もあるそうだ。いずれにしても身体によい食材ということだ。追伸:その後「孫たちはやさしいよ」という説まで出てきた。「たち」は「た=玉子」と「ち=乳(牛乳)」で、「よ」は「ヨーグルト」となるらしい。いずれにしても健康が一番だ。

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