「早慶戦」

伝統の第60回「早慶アメリカンフットボール対抗戦」が「昭和の日」の4月29日に行われ応援に行ってきた。一昨年に辛うじて勝った以外、母校は最近は負けが込んでいる。これまでの対戦成績は慶應37勝、早稲田21勝、1分だ。天候は絶好の晴天。「駒沢陸上競技場」は両校の応援団がスタンドを埋めた。試合は開始早々から慶應が押し込んでたちまちランプレーでタッチダウンを奪う。その後慶應ディフェンスが早稲田のパスをインターセプトし、それをきっかけにチャンスを物にしてフィールドゴールを決める等、前半は慶應が押し気味に試合を進め、慶應10:早稲田7と僅差の試合だった。後半に入り、第3クォーターは慶應が相手パスをインターセプトしたり、相手パントをブロックしてタッチダウンしたりとして14点を挙げ、24:7と大きくリードした。この試合、早稲田ディフェンスに5度にわたるオフサイド等の反則があり、これが早稲田のリズムを崩したといえよう。しかし第4クォーターに入ると俄然早稲田が奮起し、ビッグプレーを連発し、猛反撃に転じ、2つのタッチダウンを奪い、慶應24:早稲田21と猛追してきた。そして残り1分を切っての早稲田の攻撃は慶應ゴールライン10ヤードまで達し、残り数秒でラストプレー。果たして勝利の神はどちらに微笑むのか?慶應ディフェンスが最後の力を振り絞り、漸く早稲田を押さえ、2年振りの勝利を得たのだった。我々応援団も大はしゃぎ。勝利に酔った。手に汗握る試合とはこういう試合を言うのだろう。本当に良い試合だった。私の現役時代は、高校、大学通じて早慶戦の戦績は6勝1敗だったと記憶している。昔の勝貯めがあるから今年の38勝目となった訳だが、近年は圧倒的に早稲田が強く、この10年間は早稲田の8勝2敗だった。写真は慶應の最初のタッチダウンシーンだ。オフェンスチームが見事に相手ラインをブロックしてランナーの走る道を開けているのがよくお分かり頂けよう。久々力の入った2時間強を過ごしました。

「仮名手本忠臣蔵 後記」
知らなかったことを知った。この題名「仮名手本忠臣蔵」とはどういう曰く因縁なのか?だった。まず「忠臣蔵」とは?これほど有名な名前なのだが、これが実は討ち入り同士の頭であった「大石内蔵助」は「忠義の臣」であったという訳で「忠臣・内蔵助」を縮めて「忠臣蔵」となったのだという。また歌舞伎にした時に討ち入りした人数は「47士」だから、これを「平仮名 いろは47文字」に掛けて「仮名手本」となったというのだ。なるほどなあ。勿論皆様はご存知だっただろうが、私は知らなかった。5月も歌舞伎鑑賞に行く嵐閧セ。今から楽しみ。私は「松竹」の株をX千株持っているので、歌舞伎は年間5回観ることが出来る。その他映画は月20回まで観ることも可狽セ。まあコストは高かったのだが、株主特権を行使している。さて「忠臣蔵」は事件の5年後、「近松門左衛門」作で「人形浄瑠璃」で行われたのが最初だったという。人形を使ってのものだったが、人が舞台で即ち歌舞伎でやることになるのには46年もの歳月が掛かったのだった。46年も経てばもう時効という訳ではないが、世の中も人も世代も変わっているので幕府もお目こぼしすることになったのだろうか?

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