「秀山九月大歌舞伎観戦記」

「秀山祭九月大歌舞伎・観劇記」(写真:K1)
九月の歌舞伎座は「二世中村吉右衛門一周忌追善」と銘打った出し物でした。(写真:K3)
生憎の台風接近ということで雨の歌舞伎座前でした。(写真:K2)
昨年九月に亡くなられた二世吉右衛門の追善公演で、「秀山」とは初世吉右衛門の「俳名」である。
第二部目は「松浦の太鼓」と「揚羽蝶繍姿」。

「松浦の太鼓」
江戸時代12月15日は煤払いの日、赤穂浪士の一人「大高源吾(中村梅玉)」が笹売り姿で雪の両国橋を渡って来る。12月13日の宵の口の頃。偶然俳人の「宝井其角(中村歌六)」と出会う。別れ際に其角が「年の瀬や 水の流れと 人の身は」と詠うと、源吾は「明日待たるる その宝船」と答えた。
次の場面はその晩のこと。吉良邸の隣の屋敷では大名「松浦公(松本白鷗)」が赤穂浪士が討ち入りをしないのでイライラして、源吾の妹の「お縫(中村米吉)」に八つ当たりしていた。それを庇って其角が源吾と会った際の事を話す。その結果、歌の意味を知ろうとする松浦公。松浦公と赤穂の大石は同じ山鹿流の同門だった。
夜半過ぎに突然響きだす「山鹿流の陣太鼓」。はっと気が付く松浦公。すわ助太刀に向かおうとするが、そこへ源吾が駆けつけ無事仇討ち本懐を遂げたことを伝えるのでした。めでたし、めでたし。
(写真:K4)
(写真:K5)

「揚羽蝶繍姿」(あげはちょう つづれの おもかげ)と読む。
二世吉右衛門の当たり役ばかり集めた所謂名場面集のような歌舞伎でした。演目は「籠釣瓶花街酔醒」は桜満開の吉原での花魁道中を、「鈴ヶ森」では白井権八と幡隨院長兵衛との出会いを、「熊谷陣屋」では若き平熱盛を打ち取った熊谷直実が世を儚んで出家する様を、そして「播磨湯だんまり」では源平の人たちが赤旗を奪い合う様を描きました。