「石高」

江戸時代は貨幣経済が発達した時期でもあったが、その基本は「米」だったことはご存知だろう。それぞれ各地の大名は獲れる米の「石高」でその収入を現していた。果たしてその量は如何程だったのだろうか?ある資料によるとまず最大のものは「江戸幕府」である。徳川家の総収入は直轄地、所謂「天領」からの年貢と税収入、金山・銀山・銅山・金座銀座などの造幣による収入合わせて「469万石」旗本御家人等の知行地からのものが「300万石」で、「約800万石」と見積もられる。その他の大名合わせて「約1000万石」で、日本全国では総合計「約1800万石」だという。幕府以外では「加賀100万石」やら、伊達、黒田、細川、島津等の大大名がいた。年貢米の採り方は「四公六民」か「五公五民」という割合が普通だったようで、「4:6=4が領主で6が百姓」と言う意味だ。江戸初期には「三公七民」だったのだが、八代将軍吉宗の時代に「五公五民」になったそうだ。だから一たび「飢饉」が起こると大変だったことが伺える。これでも幕府も大名も苦しい財政状態だった訳でその後の貨幣経済が発達してくると、「商人」たちに牛耳られてくるようになる。武家階級は自らは働かない訳で民から年貢を召し上げて生活していた訳だから、その収入源の米を担保に商人たちから前借していた。だから貯まった借金をなしにする「借金棒引き」所謂「棄損令」が度々行われたのが江戸時代だった。

「東京スカイツリーは」
最近入場者が100万人を越えたというスカイツリー。事前蘭?iシでも並べば券を買えるらしいので夏休みが終わって少し静かになったら登ってみようか。高度恐怖症の私に果たして登る勇気が出るかどうかは分からない。

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