芸術の秋

「J  REPORT 2012 11月第2週号」
「リタイアメント・ノート 4年5ヶ月目」、
「VOL。766 SINCE AUG.12th、1983」
「東京タワー」
早朝、まだ日の出前の東京都心に光り輝く「東京タワー」が見える。昨晩は「13夜」ということで綺麗な月が見えたらしいが、低気圧が近付いてきているようで都心部は厚い雲に覆われていた。

「心太」
「ところてん」と読むのだが、どうしてこういう漢字を使うのか?理解に苦しむが、「心天」とも書くと言う。原料は「テングサ」等の海藻類で、煮詰めた「寒天質」を「天突き」というもので細長くしたものだ。98?99%は水分だと言う。丁度ダイエットによいと思いたち食べてみた。酢醤油に辛子が一般的な食べ方と思っていたら、砂糖をかける食べ方もあるという。地方によって随分違うようだ。

「江戸の街は左側通行」
江戸時代、武士は「帯刀」していた。所謂「二本差し」だ。普通は右利きだから、刀は左の腰に差す。それが「鞘当て」にならないように武士は左側を歩くことになる。これから左側通行が始まったようだ。武士にとっては無用な争いにならないようにとの配慮だったのだろう。同じことは「騎士道文化」が盛んだった「イギリス」も同様だったようだ。だが新天地「アメリカ」では右側通行になっている。イギリス以外の他のヨーロッパ諸国も右側通行だから、どうしてなのだろうか?よく分からない。しかし、日本とイギリスの共通点は正に「左側通行」で理由は「刀」にあったことは間違いないようだ。

「三和土」
「たたき」と読むが、これももう死語なのだろうか?玄関の内側の平らな場所だが、勿論江戸時代にも極々一般的にあったものだ。入口に面しているのは「土間」と同じだ。だが「土間」と「三和土」では何か雰囲気が違う。マンションなどの集合住宅では「三和土」も小さくなり過ぎて、そう阜サされることもないだろう。江戸時代ならば、普通の家や長屋でも扉や腰高障子の内側には土の「三和土」があった。そこでは草鞋を脱いだり、あるいは脇で煮炊きをしたりすることも出来た。道具類も置いてあったのだろう。日本語もどんどん死語が出てくる。普通の家でも三和土から部屋に上がる際には「上がり框(かまち)」に腰掛けて、「水桶」か「盥(たらい)」で足を洗ってからあがった。昔は草鞋や草履や下駄だったから、当然街中でも歩けば足は汚れる。それを洗ってから上がるのが当たり前だった。今は靴なので脱いでそのまま上がるが、昔の人の方が綺麗好きだったのかも知れない。

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