またまた北海道へ

「J  REPORT 2013 1月第4週号」
「リタイアメント・ノート 4年7ヶ月目」、
「VOL。777 SINCE AUG.12th、1983」
「父の13回忌」
私の父が亡くなったのは2001年1月だった。その日は前日からの雪で道路は凍結していた。朝早く病院から電話があり、急ぎ家族を起こして高速で横浜に向った。病院に着いた時には父に意識があったかどうかは分からないが、親戚一同が揃っていて、私たちが駆けつけてから1時間後に亡くなった。父との思い出は色々とあるが、兎に角スポーツ好きで学生時代からテニスをやっていたので、横浜は山手にある「横浜ローンテニス倶楽部」に連れて行かれたことを思い出す。父はメンバーだったのでテニスをしていたが、私は幼く、一人でコートの横で遊んでいた記憶がある。全く詰まらない休日だったような気がする。中学生になってから学校の父兄会には必ず父が来た。母が来たがらなかったということもあってだが、父は本当に教育熱心だったのだろう。高校大学と私はアメリカンフットボールをやったが、試合には父は殆ど応援に来ていたと思う。妹もバスケットボールをやっていたが、妹の試合にも来ていただろう。13回忌の法要をいつものように私の般若心経の読経にて墓参りをした。既に母も亡くなっているので、私たち家族、妹家族、そして叔母家族と子供たちとその家族などが集まって父を偲んだ。墓参りをした日は珍しく暖かく屋外でも寒くはなかった。その翌日東京には雪が降った。成人式の日だった。

「1月17日」
またあの日がやってきた。平成7年1月17日午前5時46分。そうです「阪神淡路大震災」の日です。あれからもう「18年」の月日が経ちます。あっという間の18年でした。これからの18年、果たして私は生きていけるのでしょうか?それを考えると月日の経過の早さに驚かされます。あと18年後には私は82歳になっているのですが、果たして生きているのでしょうか?まさに「光陰矢のごとし」ですね。

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