「十二月大歌舞伎観劇記」

「十二月大歌舞伎」観劇記(写真:歌舞伎1)
第二部「男女道成寺(めおとどうじょうじ)」(写真:歌舞伎2)
今回は白拍子花子役に中村勘九郎、白拍子桜子実は狂言師左近役を坂東彦三郎が初役初顔で演じた。ご存じの通り、道成寺は道成寺物がいくつかある中の一つで、約270年前初代中村富十郎が演じたもの。熊野詣に行く僧「按針」に恋した「清姫」は按針が逃げて道成寺の鐘の中に隠れたところ、大蛇になって追いかけてきた清姫が鐘に七巻きになり焼き潰したことにより鐘も僧も無くなった。その後のことが演じられているお話しだ。
清姫の霊が白拍花子、そして桜子との二人の踊りが主体である。二人の息の合った踊りが見所。
(写真:歌舞伎4)

「ぢいさんばあさん」
実際に1771年明和8年に起きた出来事が下敷きになっている。それを文化文政時代の有名な狂言師「太田南畝」(実は幕府の勘定方の役人なのだが)が世相や出来事を書き記した随筆の中に記載されているお話しなのだ。それを知った11代将軍家斉は老夫婦に金10枚を下したという。それを森鴎外が短編小説に仕立てた。更に昭和26年劇作家の宇野信夫が歌舞伎向けに書き演出した。
番町に住む幕府大番の「美濃部伊織(勘九郎)」34歳は妻「るん(尾上菊之助)」29歳の弟が同僚と争って怪我をしてしまった。弟も大番でこの度二条城警備の任に就くことになっていたが、怪我のため仕方なく伊織が代わりに行くことになった。本来この役目は1年交代だから、妻と生まれたばかりの息子とは1年だけの別れと思って京都に向かった伊織。4か月後鴨川で宴会を開いていた。理由は伊織が買った130両の名刀の披露だった。だが130両のうち30両は番町でも隣だった下鴨甚右衛門(彦三郎)から借りたものだった。ただ宴会に下鴨は招かれていなかった。そこに現れた下鴨は既にかなり酔っていた。そして喧嘩腰となり争ううちに伊織は下鴨を切り殺してしまう。その後彼は江戸に戻され越前の有馬家に預けられる。そこで剣術の指導などをして旗本として体面を考え比較的緩やかな扱いを受ける。一方、妻のるんは筑前福岡藩黒田家の奥向き女中になり、二代の殿様に仕えた。
そして37年後、伊織は罪を許されて番町の家に戻ることになる。家は妻の弟の息子夫婦が守っていた。そこでの老人たちの再会が目玉だ。伊織は71歳、るんは66歳。しかし幼い息子は4歳で天然痘で死んでいた。
以上、涙を呼ぶ演目でした。(写真:歌舞伎3)