「象の見世物の絵」

私は年間約300冊以上の本を読んでいる。その大半が「時代小説」と呼ばれるものだ。そんなことから「江戸時代」が比較的現代にも近く、また人々の様々な暮らしが分かるという点でも面白く、読みながら色々と調べると更に面白みが増してきた。そこでこんなシリーズを書いている。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?18」
「武士とは?」
武士とは「君主」である「将軍」に仕える「旗本・御家人」や、「大名」に仕える者「家来」で「名字、帯刀」、「裃(かみしも)」ないし「紋付き羽織、袴」を許されていた。すると「浪人(牢人)」は仕える者がいないのだから「武士」ではなかった。どちらかというと中途半端な、武士でもない(嘗ては武士だったのだが)だからといって町人でもないという具合だ。本来武士は戦闘集団だったはずだが、大平の世になった江戸時代の武士とは所謂「役人」となってしまった。大名の家来もそれぞれの役目を負っている役人だし、幕府の旗本や御家人も幕府の役人だった。江戸は兎に角武士が多い「武士の町」だった。全国の300余ある大名家は皆江戸に妻を住まわせ、参勤交代で江戸と国許を往復したし、家来達も江戸住いか国許住いかだが、かなりの人数が江戸にいた。また江戸は富を産まない武士たちが多いから、その消費を賄うための町人(商人、職人、物売りら)農民、漁師などが必要だったから、その面でも商業が発達した。また江戸は火事の多い都市だったから、地方から木材をはじめとして米なども多量に運ばれてきて物流も盛んになっていた。だから「江戸は武士の町でありながら、町人の町」でもあったのだ。話しを「浪人」に戻す。黒沢明監督作品「七人の侍」で主役の浪人たちは「袴」をはいているが、本来武士以外には履いてはいけないものなのだが、未だ「武士の矜持」を捨てられない輩が沢山浪人にはいたということが分かろう。旅をする時には「野袴」を穿いたから、牢人は旅の途中と考えればいいか。そうそう幕府は武士にも町人にも「鬚(ひげ)」を禁じていたという。だから鬚を生やしているのは「儒者」か「医者」か「無法者」か、ということになるらしい。いずれにしても「鬚は禁止」だったというから面白い。

「見世物」
江戸時代にも「見世物」は人気だったらしい。「江戸東京博物館」の催し物にあった江戸時代の絵には、南蛮渡りの「象」が描かれていた。注釈によると見世物にするために連れて来られたらしい。勿論「長崎」から歩いて連れて来られたようだ。当時、長崎のオランダ人たちも毎年江戸の将軍様に謁見するために訪れていたから、「紅毛人」をある程度見慣れていた江戸の市民も「象」には驚いたらしい。

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