「豊洲公園」

「J  REPORT 2021 11月第1週号」 
「リタイアメント・ノート 12年5ヶ月目」
「VOL.1236 SINCE AUG.12th、1983」
「豊洲公園」
昨年11月に心房細動を起こすまでは、毎朝愛犬と共に散歩で訪れていたが、その後の手術や体調悪化等で来ることが出来なかった豊洲公園を訪れた。(写真:B1)
一応遊具類もあるが、子供たちは幼稚園なのだろうか、誰もいなかった。(写真:B2)
昨年出来上がった「ららぽーと・アネックス」だ。(写真:B3)
隣接して都市交通のモノレール「ゆりかもめ」が走っている。(写真:B4)
「ゆりかもめ」はご存知の通り、新橋からお台場各地を廻り豊洲市場経由して豊洲まで到達している無人列車だ。
園内にはボランティアらによる「豊洲シーサイド・ガーデン」があり、季節毎の花々が植えられている。(写真:B5)
(写真:B6)
(写真:B7)
(写真:B8)
(写真:B9)
公園の西側には、右手から石川島、海側に佃島がある。(写真:B10)
その昔、加役の火盗改(火付け盗賊改め)の長谷川平蔵の提案で作られた「人足置き場」が石川島にあった。元々石川島と佃島は離れていたが、今は繋がっている。人足置き場とは今でいう懲役刑でも軽い犯罪者を住まわせ、社会復帰させるために手に技術を付けさせたりした場所で3年程度入れられていた。一方隣の佃島は家康により摂津の国から連れてこられた漁師たちが暮らし、隅田川河口の「白魚」を独占的に獲る権利を与えられていた。
豊洲運河に架かる橋は公園側から一番手前は銀座を通る晴海通りがそのまままっすぐ進みお台場に続く橋で、その向こうの橋は、旧築地市場から伸びて豊洲市場に達する橋で、更にその海側には「レインボーブリッジ」がある。(写真:B11)
佃島の対岸の海側には「晴海」があり、オリンピックの選手村になっていた建物が見える。(写真:B12)
勿論、豊洲市場の周囲にはオリンピック関連施設が多数ある。
さて公園側に目を移そう。元々隣接して「ららぽーと豊洲」がある。(写真:B13)
近年、豊洲とその近辺には高層マンションが多数建てられ、またオフィスビルも増え、通勤客で地下鉄等も非常にラッシュ時は混んでいる。何しろ少子化の時代に小学校が新設されるのは江東区、特に臨海部を抱える豊洲に顕著に表れていると言えよう。