「SONYビル前の水族館」

例年通りに数寄屋橋交差点に沖縄は「美ら海」(ちゅらうみ)の魚たちがやって来た。熱帯魚が美しい姿で泳いでいる。水槽を囲む人たちがちょっと邪魔だが、まあ仕方ない。一風の涼が銀座の片隅に訪れていた。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?24」
江戸時代の商人たちは幕府から認められた「株仲間」という組織を作っていた。これは「組合」のようなもので「独占」が正式に認められていたということだ。株仲間の数が一定数に決められ新規参入を抑えていた。例えば「風呂屋」も株仲間があり、新規参入が阻止されていた。従って「株」は売買されて、勿論親から子へと相続もされたが、他人に売買もされていた。株仲間と言う権利を買うということだ。こうして「業界保護」をすることにより、価格の沫獅??hぐと同時に幕府は「上納金」を株仲間から集めた。「運上金」とも言うが、税金みたいなものだろう。業界の株仲間は「寄合」を持ち、情報交換や価格協定をしていたというから、現在では考えられないことだ。まあ昔から日本には「根回し」や「談合」という言葉があるように、決して競争社会だった訳ではない。保守的な封建的な社会が江戸時代だったのだ。そんな中で庶民たちはそれなりに伝統を護りながら、生活を楽しんでいた。所謂「九尺二間」の長屋の家賃は月に「350文から500文」程度だったというから、今の価値でいうと5000円強から7500円だから、まあ安かったといえよう。保守的な社会体制だったから、260年余も幕藩体制が続いたのかも知れなかった。

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