「六義園」

「J  REPORT 2021 10月第4週号」 
「リタイアメント・ノート 12年4ヶ月目」
「VOL.1234 SINCE AUG.12th、1983」
「六義園」
久々に訪れたのは「六義園(りくぎえん)」。ここも事前時間指定制だったが、無くても大丈夫、入園出来ました。(写真:B1)
ご存知のように明治の初めに政府から払い下げを受け、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎所有となったものだが、元々は五代将軍綱吉の時に柳沢吉保が造った庭園だ。
有名なのは春の「枝垂れ桜」だ。今はこんな状態だ。(写真:B2)
来年の春が楽しみだ。
「田鶴橋」今は通行禁止だ。(写真:B3)
「渡月橋」二枚の大きな石で造られている。(写真:B4)
「藤代峠」(写真:B5)
都内に多くあるミニチュアの富士山かと思ったら、違いました。和歌山にある地名からのものらしく、下の池は和歌の浦に見立てられているとか。江戸時代、富士山信仰から富士登山が盛んに行われたが、女人禁止でもあり、またかなり厳しい登山から庶民は小さな富士山を江戸各地に造り、それを登ることでご利益を貰うのが流行った。そんな名残かと思った次第です。
峠から東を観ると「上野寛永寺」が、南には「江戸城」が、そして西には「護国寺」が見えると言われているが、現代では観えない。東側(写真:B6)
南側(写真:B7)
西側(写真:B8)
小さな小さな滝がある。(写真:B9)
池を中心にして岩が配されている。「蓬莱島」(写真:B10)
臥龍石(写真:B11)
少し紅葉してきているかな。(写真:B12)
最後にもう一度「枝垂れ桜」を見上げる。(写真:B13)
ここは柳沢吉保の別邸として造られたのだが、将軍綱吉も再三訪れた場所だ。将軍というのは基本的に外出をしないのが普通だが、兎に角数十回訪れたというからその寵愛振りが伺える。吉保の名前自体、綱吉から一文字貰っている。今は本郷通りに沿ってあるが、昔は中山道が通っていた。距離的にも山手線内だから、正にご府内といえ、いい場所にあったものでした。綱吉は元々学問好きで就任当初は善政を敷いていたが、生来憐みの令を発したことから犬公方として物議を醸した将軍だった。