「江戸の庶民の生活は楽だったか?30」

「富士講」
6月1日は富士山の山開き、従って江戸からの講中の人たちは5月の末に出立する。信仰のために登るので足腰の弱い女こどもは「富士塚」で「模擬登山」を行ったという。あちこちの神社に富士の形に石を積み上げた小山「富士塚」があって、そこに登れば実地に行ったようなご利益があるとされていた。頂上には「浅間神社」もあったという。富士山よりも近いのが「大山」だ。こちらにも沢山の人たちが訪れたらしい。大川は永代橋の袂で水を浴びて清めてから出立したらしい。

「伊勢の御蔭参り」
先日私も訪れた「お伊勢様」。江戸時代のことだが、慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1772)、寛政2年(1790)に「御蔭参り」が起きたという記録がある。一説では500万人訪れた年もあったというから凄い。江戸では若い小僧さんたちが店から突然いなくなり、伊勢に行ったことが大変はやったという。「伊勢参り」は帰ってさえくれば問題なくまた働くことが出来たというから鷹揚な話しだ。着の身着のままで旅で出た小僧さんたちだが、途中の村や宿場の人たちが助けたから行くことも帰ることも出来たという。さて、当時でもツアーコンダクターである「御師」という人たちがいて旅人を伊勢へと連れて行ったという。この時の料金が一人1.5両というから大体往復で15万円。宿泊代食事代込みだから、それなりの費用がいった訳だ。

「さる」
商店の戸締りに使われていたのが「さる」と言われる所謂「クサビ状の鍵」だ。大きな店では、格子状の内から外が観ることが出来る窓に夜になると上からシャッターのように厚い扉が降りてきた。それを内側の柱に固定するために嵌め込んだ木製の「さる」を差し入れてシャッターと柱を動かないようにした。シャッターの端の部分の桟と柱の部分にそれぞれ穴が開いていて、ここに木の「さる」を差し込み動かなくした。また同様に横引きで開閉する扉ならば、上と下の桟に穴を開けてそれと上下の梁と敷居に「さる」を差し込み、動かない、外れないようにしていた。これらは中からしか開けられない仕組みだった。当時も防犯は重要なことだった。

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