「隠居への憧れ」

「江戸時代、隠居は遊びの達人だった」とNHKのラジオ番組で聞いた覚えがあった。
昔から「隠居」には憧れていた。だから早く隠居したいと思っていた。アメリカなどでは40代でも金が溜まったら隠居して自由な生活をすると聞いていたから、私も早くそんな身分に成れればいいなあと思っていた。色々なことがあったが、50歳の時、勤務していた大手商社の丸紅から、会社更生法を瑞ソして倒産した東証1部上場のコンクリートパイル会社「大同コンクリート工業」へ派遣されることとなった。それが1998年の春だった。営業を見ろということで東京営業所の事実上の所長となったが、同社内部に色々な矛盾があり、その年の8月に丸紅を退社して出向先の大同に転籍することとした。転籍の理由だが、当時の私の言葉で社員に伝えたのは「火中の栗を拾い、身をこの会社に埋めるため」だった。出向者として「いつでも逃げ帰られるという形では人は付いて来ない」との考えからだった。その時も早く隠居したいと真剣に思っていた。それから営業担当の役員になり、数年後には会社更生法からの甦生も果たし普通の会社になれた。その後も変遷はあったが、59歳の時、2008年6月末に会社を辞めて、憧れの隠居になることが出来た。同世代の人たちは殆どが更に働いていたが、何も心残りはなかった。「毎日が日曜日」というのが隠居だと思うのだが、今の今まで「毎日が忙しくて、忙しくて、スケジュールが一杯」というのが実感だ。これも性格なのだろう?何ヶ月先まで嵐閧?・んでしまうという悪い?癖は治らない。それでも隠居生活は最高だ。お金がなければ困るけれどね。その話しは次回にしましょう。

「紅葉とスカイツリー」
自宅近くを歩いていたら、都会でもそろそろ紅葉が始まってきていた。桜の木の向こうに「東京スカイツリー」が観える。春には爛漫の花が咲く桜も、秋のそれも晩秋の頃には葉も落ち、冬仕度を整えつつある。道端には落ち葉が沢山あり、風がその葉を巻き上げながら通って行った。

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