第三日目(11月23日、土曜日)

昨晩は夕食後すぐに寝たが、足がつって目が覚めたら、現地時間の真夜中、即ち日本時間の午前7時だった。完全に時差ボケだ。午前中に「ネルそン・マンデラ氏」が捉えられていた「ロベン島」の監獄を訪れた。ケープタウンから南へ12kmの小島に監獄が設けられていた。1960年代に造られ、マンデラ氏はそこに18年の長きに亘り独房生活だったという。今はその監獄も世界遺産になっている。島は小さなもので、亀やペンギン、海烏等の鳥もおり、一見してのどかなようだが、政治犯を逮捕監禁した島として有名をはせた。彼の囚人としての生活を振り返ると、朝7時から3時まで労働、以後は独房生活。毎週3日は朝のシャワーがあるが、半袖、半ズボンの裸足、これが一年中の姿で、日曜の運動日以外は毎日「石切り場」で石灰石を掘り出していたという。冬の寒さは実に厳しかったようだ。独房の広さは2x3mでトイレはバケツだったという。勿論ベッドもない。床にマットを敷き、毛布2枚で一年を過ごしたという。この島、この監獄は南アの政治犯を収容するためのもので、所謂「アパルトヘイト」に反対する者たちを政治犯として収容していたという。刑務所内でも人種差別があり、アジア系や混血(カラード)と、黒人たちとは服装も食べ物も違っていたという。混血たちはそれでも長袖、長ズボン、ャbクス、靴が支給されていたらしい。さて、本筋に話しを戻そう。人口比、1:7の白人たちが350年以上の長きに亘り、なぜこの地を支配できたのか?その理由は別として、1990年代に国際社会の圧力もあり、アパルトヘイトはなくなり、自由平等?な社会が生まれた。そして今南アアフリカ共和国は、人口おおよそ5300万人(隣のジンバブエからの出稼ぎ労働者が500万人ほどいるらしいので、正確な数字は不明だとのこと)で、面積は日本の3.3倍、所得は平均月額5万円程度らしい。ヨハネスブルグは人口おおよそ800万人。ケープタウンは450万人の内スラム生活者50万人、ケープタウンには周囲に20以上のゴルフ場があるが、スラムの隣がゴルフ場なんていうのも見掛けた。スラムはトタン屋根でトイレもなし、電気もないのが当たり前、地方から都会へと職を求めてきた人々が、これまでの隔離政策で移動がままならなかったのが、自由になり、都会になだれ込んできたためのものだという。貧富の差がやはり激しい国なのだ。一部の白人層が富を独占しているためだろうし、相変わらず汚職が尽きないという。一般住宅を見てみると、高い塀に囲まれ、厳重なセキュリティが取られているようだ。資源は豊富で銀と石油以外は何でもあるという。特に金、ダイヤ、ウラン、石炭等が一杯あるという。ここも中国の影がちらつく。今、アフリカは中国の進出が本当に凄いらしく、あちこちのインフラ整備を行っているという。遅ればせながら、アメリカもアフリカに目を向け始めたという。日本はもっと遅れている。午後からはワイナリーを訪れた。9月のボルドー、10月のナイアガラ、今月の山梨と今回、ワイナリー巡りが続く年だ。「貴富ワイン」を2本購入した(250ランド=約3000円)。ワインは非常に安い。普通のボトルが1本500円程度からだ。ケープタウンに戻るとケーブルマウンテンの上から雲が滝のように街に向かって流れ落ちて来ていた。摩周湖では年に数回しか起こらない自然現状がここでは毎日のように起こっているらしい。これは素晴らしい。次々と雲が山の後ろ側から押し出され、こちら側に落ち込んでくるのだ。凄いぞ。ウォーターフロントという地区でベンチに座り、この現象を見ていたら、カモメたちの生存競争も大変なようで、人々が落とした食べ物を巡って、争いが絶えない。威嚇して他のカモメを近づけないのも人間と同じだ。私はダイエット中なので食べないように注意している。夜は「ライオンズヘッド」という山から夜景を見た。それよりも「南+字星」を見ることができた。これから何回見ることが出来るだろうか?空は晴れているが都会だから光で星は良く見えないのが残念だ。さてこの国の医療だが、世界で初めての心臓移植はこのケープタウンで行われたということで水準は高いが、病院と医師が不足しており、問題があるという。教育だが、義務教育は日本と同じ9年だが、誰でも学校に入れるため水準が低いという。多分これまで未教育だった黒人の子供たちに問題があるのだろう?反面大学入学は難しく、競争は激しいらしい。いずれにしても黒人が圧倒的大多数の国であり成長途上の資源国として今後名をはせていく国だろう。言語は「英語」、「アフリカーン」(オランダ語、英語、ドイツ語が混ざった言葉)、そして現地の黒人が使う言葉「高山語」と3つあるらしい。香港の空港の待合室で白人の親子連れがいたが、彼らの話す言葉は全く理解できなかったから、アフリカーンだったのだろう。スポーツ面でも差別があったという。黒人に許されたスポーツは「フットボール」のみ、白人は、「クリケット」「ラグビー」「ゴルフ」と何でもやれた。一番お金のかからないスポーツがフットボール、サッカーだったのだ。

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