佃島今昔物語

「佃島今昔物語」
佃島は徳川家康が江戸に入った折に、大坂から連れて来た漁民が住み、家康のお墨付きを貰って「白魚」を獲ることを許され、且つ献上品として納められていた。そんな佃島は今は高層マンション群が立ち並ぶ近代的な街である。著名人も多く住む街だ。写真手前側には昔ながらの民家と橋が観える。「佃煮」の店もまだこの街にはある。古さと新しさが同居する不思議な街なのだ。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?34」
「徳川家とは?」
源氏の名門「新田義重」の四男義孝が上野国徳川村を領していて、「徳川」を名乗っていた。その九代後胤「世良田次郎三郎」は仕えていた足利持氏の没落後、三河国に流れた。その次郎三郎を「松平家が婿養子」にした。その末裔が家康で当初「松平」を名乗っていたが、今川義元の敗死後、独立し「徳川」を名乗り、関東源氏の名門としたと言われている。しかし、この話しは作り話だという説が有力だ。「征夷大将軍」を名乗るためには「源氏」でなくてはならず、従って源氏の出だという話しにする必要があったというのだ。「平家」であった「織田信長」は従って「征夷大将軍」になることが出来なかったというのは事実なのだ。勿論「豊臣秀吉」は将軍にはなれないので「関白」という官位を望んだのだ。
「姓と故郷」
最近では姓で出身地を判断することが難しくなってきたが、昔は姓と故郷とはかなり一致していた。例えば、「佐藤」姓などは「東北」に多い。「鈴木」姓は元々は宮崎の出だそうだが、近代では静岡県西部、浜松を中心にして多かった。出身地名がそのまま姓になっているケースも多いので、それなりに出身地が推測できたが、現在では移動が激しいので姓と出身地が一致しなくなってきている。私の姓「勢古口」などは正に出身地「伊勢」を表わしていると言えよう。
「隠れ姓について、再び」
以前も隠れ姓についてお話ししたが、元々それぞれ「姓」を持っていたが、武士の時代になり、身分制度が確立されると「名字帯刀」を許される者と、そうでなく「隠れ姓」を使わざるを得ない者とに分けられる結果となった。だから、名字は皆あったが、一般的には使用が禁止されていたと考えるべきだろう。武家階級以上の者に名字を名乗ることが許された訳だから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。