「和宮 江戸へ」

「J  REPORT 2021 2月第2週号」
「リタイアメント・ノート 11年8ヶ月目」
「VOL.1198 SINCE AUG.12th、1983」
「和宮 江戸へ」
両国の江戸東京博物館で開催中の「和宮 江戸へ ふれた品物 みた世界」展を訪れた。
幕末、14代将軍となった家茂の元に公武合体の象徴として降嫁した和宮。家茂は御三家和歌山藩から徳川本家に養子に入った16歳の青年。一方和宮は天皇の娘として同い年の16歳として京から江戸へとやって来た。中睦ましい夫婦だったというが、家茂は21歳で亡くなる。そんな和宮が持参した品や徳川家にあったものなどを展示していた。(写真:A1)
まずは「村梨子地葵葉菊紋散花唐草蒔絵 茶碗・茶台」(和宮所用)(写真:A2)
「紺絵子地竹雌雄鶏図刺繍 袱紗」(写真:A3)
「鴇縮緬地流水梅樹文様 袱紗」(写真:A4)
「いと毛御車行列御役人附」(写真:A5)
「和宮様御下向行列図 中山道御下向御休伯御本陣附」(写真:A6)
「和宮様御当着道筋御固。江戸泰平御固場所附」(写真:A7)
「絹地五本骨扇に大の字紋・胸当」(写真:A8)
「三つ折人形」(写真:A9)
「松葉麻地 布袋」(写真:A10)
「白絽地丸に鳶紋 陣羽織・胸当」(写真:A11)
「御勝土器」(写真:A12)
「葉菊紋婚礼調度」(和宮所用)右・村梨子地葉菊紋散蒔絵 耳盥」
左・村梨子地葉菊紋散蒔絵 衣桁」(写真:A13)
「女乗物」(写真:A14)
「村梨子地葉菊紋散花桐唐草蒔絵 櫛台」(写真:A15)
「銅葵葉菊紋 炭箱」(写真:A16)
「銀葵葉菊紋鶴亀松竹梅文 渡金・歯黒次・しょうず」(写真:A17)
「村梨子地葉菊紋散花桐唐草蒔絵 耳盥・輪台共」(写真:A18)
「村梨子地葉菊紋散花桐唐草蒔絵 眉作業」(写真:A19)
(写真:A20)
「黒塗葵浮線菊紋散牡丹唐草蒔絵 雛道具」(写真:A21)
(写真:A23)
(写真:A24)
「黒塗桜花唐草蒔絵 十種香道具」(写真:A22)
政治的な目的とは言え、京の都から江戸への長い道のりを経て、降嫁された和宮の心を安らいだものがこの中にあったのだろうか?あったと言いたい。当時の最高の技術を以って造られた数々の品に感動させられた。
そして十五代将軍慶喜は、水戸家から一橋家に養子に入り将軍となり、大政奉還後、鳥羽伏見の敗戦を経て世の中は明治へとなるのでした。