「富岡製糸場」

「J  REPORT 2014 6月第1週」
「リタイアメント・ノート 5年12ヶ月目」、
「VOL。850 SINCE AUG.12th、1983」
「富岡製糸場」
今月に「世界文化遺産」に登録が確実視されている群馬県富岡市の製糸場を訪れた。東京から新幹線で高崎へ。そこから「上信電鉄」に乗り換えて、「下仁田」方面に向う。高崎の駅員が「入場券付き往復割引券」がありますよと言われたが、私は身障者なので入場料は無料なので通常の乗車券を買った。1時間に1?2本しかない電車に乗って「上州富岡」へと向う。完全な田園風景、過疎の町と畑が続く。日本のごくごく当たり前の田舎だ。二両編成の電車には製糸場見学だと思われる人たちばかりで一般の乗客はほんの数人だ。これでは採算が合わないだろう。約40分で到着。驚いたことに「上州富岡」駅は実に新しい立派な建物で未だ工事中だった。世界遺産登録で慌てて作り変えたような感じだった。道路も工事中だったが、道路の路面に製糸場までの距離と矢印が書かれていた。電柱にも矢印が掲げられていて分かり易くなっていた。約1キロ、15分程度で製糸場に着いた。道々行き交う人々は大体中高年の夫婦者か女性の友人同士かと思われる。この町、実にこじんまりしているが清掃されていて綺麗な町だ。店も色々と開いていたが、食べ物屋が殆どだった。漸く見えてきた。赤いレンガ造りの建物だ。

「昭和45年の秋の思い出」
昭和45年秋11月1日、所は東京駒沢公園内「駒沢第二競技場」。私が大学4年生の時、秋のリーグ戦、対戦相手は強豪「明治大学」。アメリカンフットボールの試合だ。この試合の8mmフィルムを長い間放置していたのを今回DVDにした。それを観ると皆痩せている。私の背番号は「10番」、クオーターバックであり、ディフェンスではラインバッカーだった。ほぼ全試合が映っていたが、素人が撮影したものだから手振れもあるし、勿論白黒だし、夕闇迫る後半には画面は暗くてよく見えなくなってしまった。だが皆全力でプレーし、最高の試合をしていた。そして勝利する。今でも仲間に会えばこの試合の話しになるのだが、忘れてしまったことが多く、思い出して涙、涙。本当に感動のDVDだった。あの日、私の学生時代のフットボールプレイヤーとしての最高の日だった。

「横浜港開港記念日」
それは「6月2日」だ。1859年、旧暦安政6年6月2日に横浜港は開港した。私が小学生時代に開港100周年を向かえお祝いをしたことを覚えている。横浜の公立学校は休日となる。今でもそうだろうか?当時6年生だった私は学校の代表として何かに参列したような記憶が薄っすらとある。船に乗って横浜港を廻ったのははっきり覚えている。もう開港から155年にもなった。私は元々「浜っ子」だし、自宅では時々船の汽笛が聞こえることもあった。

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