「平城京蹟」

「平城京跡」
翌日は御堂筋を大阪駅まで歩く。この通りも随分と変化している。昔の建物もあるが、新しいのもあり、変化している。と偶然大手鉄鋼メーカーのOBの方に遭遇。いやあ驚いた。本当に偶然だ。名刺を貰う。私と同じ歳だが、未だに再就職して頑張っているらしい。さて近鉄で奈良に向かう。難波から約30分、こんなに近かったからなあ。私は「西国三十三か所霊場巡り」を都合三回おこなったから、奈良にも何度も来ているが、もう記憶が薄れている。まずバスで「東大寺」に行き、「大仏殿」を遠くから見た。沿道には鹿が沢山出て来ていて観光客が持っている「鹿せんべい」をねだっていた。鹿に取り囲まれて困っている外国人観光客もいるがこれが滑稽で面白い。本当に沢山の観光客だ。そして100円バスに乗って「平城京跡」に行く。北に「大極殿」が出来ていた。天皇がここで政治をしたという場所を復元したものだ。天皇の座(高御座)があった。大極殿から南に1kmほど離れて「朱雀門」が見える。朱雀門は12年前に完成したという。大極殿の前の広場でも工事が行われていて、新しい建物を建てるという。所謂昔の役所だという。バスで朱雀門に行くとボランティアの人が説明役をかってでてくれて、聞くと平城京跡の調査は15%程度でまだまだだそうだ。調査が終わった場所は保存のために埋め戻し、その上に再現した建物を建てるという。朱雀門から南に朱雀大路が3kmも続いていたという。その幅約70m、道というより広場という感じだろうか?平城京は実際には70数年しか続いていいな。あちこちに都を移してその後長岡京から平安京にと移ることになる。「長屋王」の館跡の場所を聞いてみた。なんと今はイオンモールが建っている場所がそうだという。しばし往時の人の夢を追う。奈良から空港バスで伊丹空港に向かい帰京した。ここ奈良もモバイル・スイカが使えない。使えるのは地元の「イコカ」と「ピタパ」だけだ。国際的な観光都市なのだから東京で使えるのが使えないのはおかしいよ。この神経が分からない。海外からの観光客のためにも早く使えるようにすべきだ。

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