「タイタニック」

「ベルファースト」
3日目だ。昨晩は本当に痛くて大変だった。漸く少し楽になったが、今でも思い出すと恐ろしくなる。さて、昨晩は午後11時位まで空が薄明るかった。今朝は4時半位で明るくなり、日の出は5時過ぎだった。一日が長いヨーロッパの夏だ。今日はベルファースト市内観光の後、ブッシュミルズへ行くという。その前にアイルランドは北海道より少し大きな島だという。元々英国はケルト人が住んでいたが、そこに北方民族の「アングロ人」と「サクソン人」がやってきて、原住民を征服した国だ。だがそこにローマ人が紀元前1世紀位にやってきて長くローマ帝国の一部となっていたという歴史がある。英語自体も今から約1500年前に漸く現在の英語の形式になったという。ローマは紀元3世紀までには撤退したが、その文化の影響は強く残った。一説によれば英語の40%はラテン語から来ているという。アイルランド全体では現在460ー470万人ほどの人口(内、共和国は約400万人)だそうだ。確か北海道が550万人ほどだったと思うので、かなり過疎の国だといえる。
「ベルファーストからブッシュミルズ」
早朝のベルファーストの街を歩く。市庁舎を中心とした人口28万の小都市だが、勿論北アイルランド最大の都市だ。約1時間歩き回ったが土曜日の早朝でもあり、人も車も殆どいなかった。空気が綺麗だ。さて8時から観光だ。この街、実は「タイタニック」の街になのだ。1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニック号が造られたのがこの街の造船所だったのだ。だから、街のあちこちにタイタニック関連の施設が設けられていた。市庁舎の庭にも沈没100周年時に死亡者の全指名を記した記念碑が作られてあった。我々はタイタニックが製造の第三ステージで使われた「ドライドック」にも行った。タイタニックはその一年前に造られた「オリンピック号」の姉妹船で、既にオリンピック号は大西洋を横断する豪華客船として実際に運航されていた。巨大な船体を入れることが出来るドライドック、日本語では「乾式ドック」だが、ここにタイタニック号を入れて最後の電気系統だとか、ペンキだとか仕上げを行ったという。最初見た目にはそんなに大きいとは思わなかったが、ドライドックの下に降りてみるとその大きさに圧倒される。46千トン余りの巨体が北大西洋に沈没してしまった悲劇は余りにも有名だ。市内には記念館も建てられ、ベルファーストはタイタニックを観光の目玉にしていた。現地ガイドに聞くとタイタニック製造時に第一ステージ、第二ステージでは17名の人が事故で死んだが、第三ステージでは死者ゼロだったそうだ。約90km北の「オールド・ブッシュミルズ」というところの「アイリッシュ・ウィスキー」の蒸留所に行き、試飲をする。スコッチ・ウィスキーとはちょっと違ったアイリッシュ・ウィスキーの12年物のモルトを飲んだが、舌が痺れた。製法もスコッチは蒸留を三回だが、アイリッシュは二回だそうだ。醸造には使用済のオークの樽を使うという。長いものだと25年も寝かせるという。年に大体2%づつ樽の中のウィスキーが蒸発して減る。これを「天使の分け前(エンジエル・シェア)」という。同名の映画を昨年観たがウィスキーはある意味生き物なのだ。12年物700mlのボトルが36ポンド、約6500円だった。買わなかった。話しはちょっと変わるが、アイルランド人に多い名前が最初に「O’」(オー・アポストロフィー)が付く名前だという。「オ・ニール」「オ・コーネル」「オ・ブライアン」等々だという。アメリカ人でこの「オー」が付く名前ならばほぼ間違いなくアイルランド系だそうだ。

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