「チューリッヒ美術館展」

「旗本と御家人」(「江戸学講座」山本博文著、新潮文庫からの引用)注:山本氏は東京大学教授で、NHKの「ラジオ深夜便」の「大人の教養講座」で「江戸学」を毎月話されている。
この本は面白い。私のように江戸時代が好きな者にはなくてはならない本だといえよう。それによると「旗本」は約5200人、「御家人」は約1万7千人だそうだから、例えとして言われていた「旗本8万旗」では決してなかった。「長谷川平蔵」は旗本で「先手頭」として「火付盗賊改」所謂「火盗改」として1500石を与えられていたが、旗本の出世コースとしてはまだまだ下の方で、本来能力があれば、出世して「遠国奉行(おんごく)」即ち「長崎、京都町、大坂町、奈良、堺、駿府町、伊勢山田、日光町、佐渡」の各奉行(1千石から2千石)へと、次が「下三奉行」即ち「普請、作事、小普請」の各奉行(2千石)へと、更に「奉行」即ち「江戸の東西町奉行」や「勘定奉行」(3千石)になり、これが旗本としての最高位だったらしい。更にその上は「大目付」(3千石)だが、これは引退直前の名誉職だという。長谷川平蔵は能力はあり、永い間火盗改を勤めたが、どうやら上司に睨まれていたらしく、出世出来なかったらしい。旗本は「御目見得以上」といい、将軍に会えるが、御家人は「以下」で会えないという差があった。その辺りのボーダーラインは大体「100石」位らしい。江戸時代後期の寛政4年(1792)には松平定信が「学問吟味」という制度(中国の科挙と同じようなもの)を導入し、旗本の出世競争を勉強が出来る実力主義に切り替えたという。それまでは田沼時代も含めて、付け届け等が横行したらしい。この「学問吟味」は幕府の基本である「朱子学」を学ぶことで「四書五経」から出題されたという。寛政6年の第2回目の試験では旗本の主席は「遠山金四郎の父」だったとか。御家人の主席が「太田南畝」、273名の受験者で甲科合格は5名、甲乙丙合わせても合格は47名であったというからかなり狭き門だったようだ。遠山はその後「長崎奉行」に、息子の金四郎は旗本最高位の「北町奉行」になっている。長谷川の父は京都町奉行を勤めていたから、本来ならば平蔵(1745?1795)も出世コースに乗れたはずだが、彼は学問吟味を受けていない。昔も勉強をしない人たちがいたのだ。

「チューリッヒ美術館展」
六本木の「国立新美術館」では「チューリッヒ美術館展」も開かれていた。巨匠たちの絵画が充実していて楽しめた。「モネ」「ゴッホ」「シャガール」「セザンヌ」「ムンク」「ルソー」「ヴァロットン」「ドガ」「ジャメッティ」「キリコ」「ミロ」と並ぶ作品群は圧巻だ。

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