「船宿」
江戸は水運の街でもあった。大川(隅田川)を挟んで沢山の運河があり、川があり、荷や人が船で運ばれた。そんなタクシーのような船を使って営業していたのが「船宿」と呼ばれるものだった。旅館とタクシーの待合所を兼ね備えた宿屋だった。食事も出来、場合によっては泊まれて、猪牙船(ちょきぶね)に乗ることが出来た。
「江戸の庶民の生活は楽だったか?66」
「直参と陪臣」
江戸幕府のトップは勿論「将軍」である。将軍の部下が「直参」である。これは直属の部下と言う意味だ。その中から1万石以上の直参が「大名」で、1万石以下100以上が「旗本」、それ以下が「御家人」だった。だから各地にいる大名も基本的には将軍の部下だった。また「陪臣」とは直参の部下を将軍から見た場合に言った。家康によって御三家の「付け家老」として出された直参もそれ以降は陪臣となってしまった。将軍直属か、否かは大きく違っていた。付け家老というのは御三家を守るために家康が信頼の置ける有能な部下を出し、家康の息子達の面倒を見させた家老職だ。
「譜代大名」と「外様大名」
同じ将軍直参の大名でも、三河以来の直参は「譜代大名」であり、その後直参になったのを「外様大名」と区別していた。やはり家康が戦国大名として立ち上がった三河の地でその当時からの部下だったのは優遇されたということだろう。譜代大名の中から「老中」が選ばれる。外様は決して老中にはなれなかった。政治の表舞台で実施的な政権を運用するのが老中だから譜代大名は皆がこれを目指した。