「桜咲く」

「さいたま歴史研究会4」
庄内は鶴岡の大商人の奥さん「三井清野」さんの旅は一応終了し、江戸時代の旅について知っていることを書こう。東海道は53次と言われているが、果たして53もの宿場が必要だったのか?ということは以前にも書いたことがある。江戸と京都との距離は124里8丁、約487.8kmだから、53の宿場で割ると平均2.3里となる。これでは余りにも近過ぎる。当時の人は一日約10里、40kmは歩いていた。朝は夜明け前の七つ(午前4時)に発ち、七つ(午後4時)には次の宿に入った。この間12時間、途中休憩を入れても40kmは歩けた。宿に早く入らないと日が暮れたら野宿は無理だから、また宿も火を落としてしまうから早めに宿に入らないと駄目だ。朝も早いから日が落ちたら直ぐに寝る。従って本来ならば124里を一日10里で割れば12?13の宿場ですんだはずだ。ところが実際には53の宿場があった。まあ山があり、川がったので、せいぜいが20前後で充分間に合ったはずだ。どうしてなのか?理由は分からないが、宿場同士の過当競争があったことは事実だろう。客引きは尋常ではなかったというし、そのためにデマというか、「暗くなると山賊が出ますよ」とか宿の人は旅人を脅かしたみたいだ。また、一方で大名の参勤交代用の本陣を備えた宿場もあったし、宿場には馬や飛脚もいただろうから、正に駅伝の役割も果たしていた。特に幕府の書面は江戸と大坂を二日半か3日位で走ったらしい。これは駅伝方式の賜物だろう。2里から3里毎に宿場があるということは治安面も安定しており、安心した旅が楽しめたのだろう。存外江戸時代の旅は楽しかったのだろう。一生の間に一度はお伊勢詣りをしたいという庶民の楽しみの一つが旅だったのでは?

「桜咲く」
3月23日には東京都内でも靖国神社の標準木で桜の開花が観られたという。都内の桜も蕾を膨らませてきている。月末には満開の桜が観られるのだろう。

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