「熊本城、昭君の間」

「熊本城、昭君の間」
熊本城は従って、明治10年に消失したのを近年になり再建したものだ。最近は「本丸御殿」も全て400年前と同じ技法で復活させた。全て檜の木材で釘を使わない伝統工法によったものだ。その中に一番美しい、また最上級の部屋が「昭君の間」だ。この建物は1610年に清正によって建てられたが、清正は1613年に死去しており、その後1615年に豊臣家は滅んでいるが、この部屋は「しょうくん」の間だが、濁点を入れると「将軍の間」となる。その将軍とは清正によっては「豊臣家」なのだ。徳川将軍家ではなく、豊臣家の秀頼公なのだったという。既に1603年には家康は征夷大将軍になっているのだから、本来は将軍とは徳川家でなければならないのだが、そこが豊臣家に忠誠を誓った清正らしいといえば清正らしい律儀で謹厳実直な姿だった。それにしてもこの本丸御殿だけで再建に55億円掛かったというが、その大半が材木代だったというから驚きだ。それにしても素晴らしい建物だった。そうそう、城の石垣は400年前そのまま残っている。この石垣、簡単に登れそうだが、登れない様に武者返しが施された石垣も見所だ。将来はこの城も復元されれば世界遺産も夢ではないだろう。室町様式の昭君の間の襖絵は本当に素晴らしいものでした。一段と高い部分に将軍が座るというが、加藤氏没落後は細川氏が熊本城を治めるが、本丸と同じ丘の上で不便なのでこの本丸御殿で暮すことなく、麓に別の御殿を建て住んでいたと言う。迎賓館的な使い方をしていたらしい。

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