「チャウシェスクの遺産」

「チャウシェスクの遺産」
7月13日(月曜日)
ブルガリアの首都「ブカレスト」は大きな都市だ。朝、散歩に出掛けたが、放射状に広がる街で道がよく分からなかった。路上生活者の姿も見えた。共産党時代の古いソ連が造った建物(今は新聞社)があったが、ポーランドにあったのと同じような偉容?を感じさせようという意図がありありと見える建物だった。1947年にそれまでのルーマニア王朝が共産主義革命で崩壊し、それが1989年のアンチ共産主義革命で民主化されたのだそうだが、ホテルのサービスも含めてまだまだ資本主義化されておらず、共産党支配下のような感じだった。愛想がないというのが彼ら彼女らの姿だと思うのは私だけだろうか?ブカレストの中心街は共産党支配下時代の建物が多く残り、兎に角民衆に如何に共産党が強いかを印象付けるような大きな建物ばかりだ。革命広場にある建物からチャウシェスク大統領が自由を求める群衆にバルコニーから演説するが、危険を察知しヘリで逃げたが、夫妻は約100km離れた場所で捕まりその場で処刑されたことは今でも覚えている。チャウシェスクの象徴的な建物が「国民の館」(写真)で、これは世界第二位の床面積を持つ建物だそうだ。一番は勿論ワシントンDCの国防総省「ペンタゴン」だ。富と権力を一手に獲得していたチャウシェスクが去ったとはいえ、やはり国民の本当の気持ちが西側化するにはまだまだ時間が掛かるのだろう。街の大きさからいえば、明らかにブルガリアよりも大きいが、何か富裕層と貧困層の差はルーマニアのほうが大きいと思えてならなかった。それも建物の大きさで民衆を圧倒しようとする意図が顕著なのがルーマニアではなかろうか?と私には感じたのだった。これはブルガリアでは感じなかったことだった。さて、いよいよ「最後の晩餐」を迎えた。旅も明日一日を残すだけとなった。明日夕方にはバルカン半島を離れる。そして15日夕方には成田に戻る。東欧の国を二つ廻ったが、やはりキリスト教の影響が強いのと、地元のオーソドックスと言われる正教が深く根付いていることを痛感させられた。敬虔なキリスト教徒なのだ。皆十字を切り、石版に接吻し、最大限の帰依を示している姿は素晴らしいものだった。教会の絵画は文字を読めなかった当時の人たちへの布教のために描かれたものだが、これが我々日本の仏教布教と違う所なのだろう。仏教も念仏を唱えることが信心の基本なのだろうが、キリスト教も形式的になっているという意味では同じなのだろう。
以上、ブルガリア、ルーマニアの旅の途中報告でした。

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