「長崎を歩く」

「長崎を歩く」
旅の二日目は長崎に赴く。昨年7月にもお世話になった「長崎サルク」のガイドさんの案内で、長崎市民会館を出発して中島川沿いの町屋を中心に歩いた。
市電のトンネルの上を車が走っているが、元々はあの高さの「長い岬」があった。だから私が今いて写真を撮っている場所は、元は海で埋め立てられた土地だ。(写真:B1)
昔の地図の岬の先がイエズス会に献上された土地だ。(写真:B2)
「長い岬」から「長崎」の名前が生まれたようで、江戸幕府はここを天領として直轄地とし奉行所を置いたが、実質的には町人が支配し自治していたのが長崎だった。
今の長崎は大半が埋め立て地なのだ。戦国末期、領主だった大村氏が南蛮貿易をするためにポルトガルのフランシスコ・ザビエルらの「イエズス会」に土地を献上し、沢山の日本人が信者になった。そこで10幾つもの教会が建てられた。日本人はキリスト教徒にならないと貿易が出来ないので宗徒となったとも言われているのだが。
最初に訪れたのが「一覧橋」だ。(写真:B3)
これが建てられたのが江戸で明暦の大火が起きた年で、長崎で二番目に出来た石橋だ。(写真:B4)
石橋はまず最初が「眼鏡橋」、中国人の人たちが建てたもので、中央に橋脚があるが、それ以外のものは全て橋脚なしだ。中国人は福建省出身者が多く、最初の眼鏡橋が上手くいったので次々と石橋を造っていった。
次に訪れたのが寺町にある「光永寺」。(写真:B5)
ここは慶應義塾の創立者である「福沢諭吉先生」が蘭学を学ぶための長崎留学時代に1年間住まわれた寺だという。(写真:B6)
(写真:B7)
おや面白い猫がいるなあ。(写真:B8)
尻尾をご覧あれ。何と曲がっている。これを長崎では「尾曲がり猫」という。この猫はオランダ人がインドネシアから連れてきた猫で、船内のネズミ退治用の猫だったそうだ。遺伝子の都合で尾が曲がっている猫が長崎にはあちこちにいた。野良猫の街が長崎だった。
綺麗な川が中島川。(写真:B9)
鳥も鯉もいる。(写真:B10)
川沿いの「中通り」昔のメインストリートだ。(写真:B11)
(写真:B12)
長崎は「石畳」と「砂糖」の文化の街だという。これからそれらが分かるようになる。(写真:B13)
次が「興福寺」だ。最初の「唐風寺」として建てられた。(写真:B14)
元々教会だったところにキリスト教が禁教となってお寺に変わったという。ここに中国から招聘されたのが「隠元和尚」だ。(写真:B15)
彼がもたらしたのが、「精進料理」に「隠元豆」、それに「卓袱台」、日本流の名前は「ちゃぶ台」だ。これは上座下座がなく人々が平等に座れるというもの。また「唐風の書体」も人気となり日本中の「扁額」がこの書体で書かれたという。
長崎サルクにはガイド代金@1400円払っているが、どうやら3軒の店で試食が出来るらしい。最初は果物屋さん。「長崎ザボン」という柑橘類。(写真:B16)
(写真:B17)
「琵琶」(写真:B18)
「長崎デコポン」(写真:B19)
ケースには私の名前が書かれていた。歓迎の意味だ。これらの果物が試食できる。(写真:B20)
次が「岩永梅寿軒」創業は1830年とのこと。甘味処だ。(写真:B21)
名物は「もしほ草」という海草を練り込んだ羊羹のようなもの。「求肥餅」(写真:B22)
そして「カステラ」。これは昔カステラを焼いたという鉄板だ。(写真:B23)
長崎は砂糖の文化と申し上げたが、オランダ人は砂糖を船のバラストとして日本に持ち込んだという。(写真:B24)
当時カステラはポルトガルが持ち込んだ時には固いパンのような保存食だったという。それを日本人の料理人が改良を加えて柔らかい甘いお菓子にしたのだという。人気のカステラは直ぐに売り切れになるという。要予約を。
この店先の柱をご覧ください。(写真:B25)
実はこの柱、原爆の旋風で傾いたのだという。
また店の軒には鳶のマークがあった。(写真:B26)
説明によると「安田生命」のマークだというが、本当かどうかは知らないが、何らかの関係があったのか?
砂糖文化を表すのがもう一つある。「落雁」だ。大きなものまでこの店は造っていた。(写真:B27)
(写真:B28)
長崎で「おもてなし」というと「砂糖」をふんだんに使ったものを提供することだという。
「上野彦馬生誕の地」とある。彼は日本で初めて写真店を開いた人物で、「坂本龍馬」のあの写真を撮ったのが彼なのだ。(写真:B29)
二人の共通点は名前に「馬」が入っていること。(写真:B30)
排水路が石で出来ていた。「えごばた」と地元では言う。(写真:B31)
また区割りされた町の境は約一尺離れて家を建てることで空間を取っていた。(写真:B32)
古い町屋がある。狭い入口で長い通路があり、その奥には中庭があるという。(写真:B33)
(写真:B34)
「うだつ」もある。(写真:B35)
この神社の鳥居が少し変わっている。両端が上に跳ね上がっている形なのだ。笠木というのだが、反った鳥居は珍しいという。(写真:B36)
ありました。「尾曲がり猫神社」だ。(写真:B37)
(写真:B38)
いよいよ眼鏡橋です。水面にも映っている。(写真:B39)
一番古いのがこの眼鏡橋。「擬宝珠」超しに観た眼鏡橋。(写真:B40)
対岸の石垣をご覧あれ。いくつかの♥ハート・マークの石がある。探してみては如何かな。(写真:B41)
(写真:B42)
鯉もいるね。(写真:B43)
「江崎鼈甲(べっこう)店」、300年以上の伝統がある店だ。(写真:B44)
昔の金持ちは鼈甲製品を好んで使ったというが、製造技術が非常に難しいようだ。「たいまい」という亀の甲羅を使って、熱と水と圧力だけで加工し接着させるというから凄い。その作品の一部をご紹介。
「船」(写真:B45)
「鯉」何と426万円の値札が。(写真:B46)
「鳳凰」(写真:B47)
「鰹」(写真:B48)
「鯉」(写真:B49)
「翁」(写真:B50)
「たいまい」背よりも腹の甲羅のほうが、価値が高いという赤道付近に住む亀だ。(写真:B51)
2時間の長崎街歩きでした。
福岡空港には昨年8月の家族旅行以来だったが、ラウンジが新しく広くなっていた。(写真:ラウンジ)しかし、コロナで客は少なく、手先アルコール消毒が常に行われていた。