「茂木家美術館の北斎名品展」第12弾

「茂木家美術館の北斎名品展」第12弾
北斎親子。(写真:H1)H1
出典は「HOKUSAI MASTERPIECES OF ART」より

北斎の「北斎さまざま」シリーズ第1段をお送りします。

「琉球 筍崖夕照」(写真:H2)H2
琉球では国王が変わる度に江戸幕府へ謝恩使を送る習わしがあった。これは天保3年の謝恩使派遣に合わせ出版されたのではないかと考えられている。画面右手には鳥居が見えて、崖の上には現在那覇市にある波之上宮が描かいる。波之上宮は琉球八社の一つとして知られている。北斎は崖を構成する岩の下部を細く尖ったフォルムで描いており、まるで崖が宙に浮かんでいるかのような神秘的な描写をしている。

「千絵の海 総州利根川」(写真:H3)H3
水の変化と日本各地の様々な漁労の様子に着目して描かれたシリーズです。本図は利根川で四つ手網を使った漁が行われといる。四つ手網とは二本の竹竿を十字に組んだものに正方形の網を張り、もう一本の竹竿を取り付けて固定し、てこの原理を利用して網を引き揚げ魚を取る道具で、北斎が描く漁師は船の縁で足を踏ん張り、網を引っ張り上げている。

「詩歌写真鏡 春道のつらき」(写真:H4)H4
詩歌写真鏡は和歌の歌に因んだ画題からなる。「春道のつらき」とは春道列樹(?-920)という平安時代の歌人をさし、川を眺める貴人の後姿は、物思いにふけっているようにも捉えられることから、「昨日といひけれど ふとくらしてあすかがは、ながれてはやき月日なり」という歌を主題にしているという説がある。

「詩歌写真鏡 木賊刈」(写真:H5)H5

「詩歌写真鏡 融大臣」(写真:H6)H6
世阿弥作の謡曲「融(とおる)」を主題にしている。融大臣は嵯峨天皇の息子である源融(822-895)のことで、六条河原に奥州塩釜の景観を模した庭を造ったことで知られている。謡曲融は源融の死後、東国の僧が融の邸宅跡地である六条河原院で休んでいると、融の霊が現れるという物語である。橘守国「詩曲画詩」で取り上げられた「融」の挿図では、木に宿る鳥や三日月の下で佇む貴人の姿が描かれており、北斎はこれを学習して本図を制作したものと思われる。