「江戸のスポーツと東京オリンピック」

『J REPORT 2019年8月第3週号』
「リタイアメント・ノート 11年2か月目」
「VOL.1120号 SINCE  AUG.12th, 1983」
「江戸のスポーツと東京オリンピック」展
両国の「江戸東京博物館」で開催中の展覧会に行った。来年に迫ったオリンピックへ向けての企画展だ。(写真:S1)S1
(写真:S2)S2
(写真:S3)S3
江戸のスポーツといえば、まずは剣術だろう。武士のための武術であるために武士の町「江戸」では必須だったのだろう。(写真:S4)S4
それが江戸中期からは武士以外にも剣術は発達し庶民も剣道場に通い出した。(写真:S5)S5
そして発達したのが、それまでの型を中心とした真剣を使った剣術から、竹刀を用い、面、籠手、胴を使った安全な剣道になっていったのだ。これは江戸時代の著名な武道家たちのリストだ。塚原卜伝、荒木又衛、宮本武蔵等の名前も見える。(写真:S6)
こうして剣道は将軍の面前での上覧試合も行われるようになった。(写真:S7)S7
(写真:S8)S8
(写真:S9)S9
(写真:S10)S10
(写真:S11)S11
(写真:S12)S12
弓も盛んに行われた。弓掛の絵。(写真:S13)S13
写真撮影禁止だったので、写真はないが、三十三間堂での弓も人気だったという。これはかなり難しいだっただろう。24時間矢を放って1万本以上の猛者もいたという。
そして庶民にも人気だったのが、相撲だ。
「小野川と谷風、水入りの図」(写真:S14)S14
「藩邸内水入りの図」(写真:S15)S15
また蹴鞠も盛んで、元々は公家の遊びだったが、江戸では庶民も行い指導者がいて格付けもされていたという。(写真:S16)S16
(写真:S17)S17
蹴鞠の装束だ。(写真:S18)S18
靴と毬。(写真:S19)S19
力士たちの絵(写真:S20)S20
子供力士。(写真:S21)S21
(写真:S22)S22
子供たちの遊び(写真:S23)S23
十二か月絵巻(写真:S24)S24
揚弓、庶民も弓矢で遊んだ。(写真:S25)S25
明治になると外国から色々なスポーツが入ってきた。これは体育大会の絵。(写真:S26)S26
馬術技芸会。(写真:S27)S27
展覧相撲の絵。(写真:S28)S28
そして両国国技館が完成した。(写真:S29)S29
土俵も出来た。(写真:S30)S30
西洋の格闘術。(写真:S31)S31
競馬会。不忍池周辺だという。(写真:S32)S32
(写真:S33)S33
日本の近代スポーツの親ともいえるのが嘉納治五郎氏だ。肉筆だ。(写真:S34)S34
勿論柔道の講道館を開いた人物としても有名だ。
運動双六。(写真:S35)S35
坪井玄道と教え子たち。(写真:S36)S36
オリンピック、ベルリン大会での日本人メダル獲得の姿。(写真:S38)S38
西田修平と大江季雄は「友情のメダル」として、銀と銅を半分ずつ合わせて分けたという。
ストックホルムでの金栗と三島の写真。(写真:S37)S37
ベルリン大会(1936年)でも日本水上界の活躍を告げる新聞記事。(写真:S39)S39
1940年東京オリンピック決定の記事。(写真:S40)S40
嘉納治五郎の書。(写真:S41)S41
「二十七年 苦心漸く実を結ぶ」
旗だ。(写真:S42)S42
残念ながら戦争により東京大会は辞退となった。
戦前にはアメリカから大リーグ選抜チームも訪れた。(写真:S43)S43
日本は全敗したが、これにより日本にもプロ野球が生まれた。写真中央黒い服の男性の右隣がベーブ・ルースではないだろうか?
そして戦後のプロ野球での人気者たち。藤村、川上、大下。(写真:S44)S44
バット二本。上が藤村、下が小鶴。(写真:S45)S45
遂に東京でのオリンピック開催が決まった。(写真:S46)S46
(写真:S47)S47
これらのポスターが一年以上貼られていたというが覚えていない。
1964年10月10日、晴れ渡る神宮の国立競技場での日本チームの入場行進。(写真:S48)S48
あの日、高校1年生の私は日吉のグラウンドで練習前の整備をしていて、北の空に自衛隊機が描く五輪の輪を見たのを今も覚えている。あの光景を忘れることはない。