「父の祥月命日」

J  REPORT2019年 1月第3週」
「リタイアメント・ノート 10年7ヶ月目」
「VOL.1090号 SINCE AUG.12th、1983」
「父の祥月命日」
2001年1月8日に父「國成」が肝硬変で亡くなった。あの日の朝、妹からの電話で危篤が告げられ、大急ぎで家族を起こして、早朝のそれも前日降った雪で凍り付いた高速羽田線を走った。兎に角寒い日だったことを覚えている。
横浜の病院には母、妹家族、叔母家族が既に集まっていた。私たちが到着して約1時間後、父は死去した。享年79歳だった。親族全員に囲まれて旅立った。幸せな人生だったと今では思っている。
父は戦時中に召集され、その後陸軍経理学校を出て、シンガポールに赴任した。そしてビルマのインパール作戦に従軍した。しかし運命は分からない。行軍途中で「主計少尉」任官の辞令が出て、シンガポールに戻ったという。もし辞令が出ていなければインパールで戦死していた可能性が高かった訳だ。日本軍はこの作戦で大敗している。
当時母も軍属としてシンガポールにいた。終戦後、共に別々に帰国したが、父は色々と手を尽くして、母の実家である福井市に突然現れ、母を妻にと申し出たというのだ。そして何度も訪れたので、根負けしたのか遂に母も承諾したというのだ。シンガポールでは、父は母を見かけて一目惚れしたのだが、母は父のことは全く知らなかったというから面白い。その結果私と妹が生まれた。私は基本的に母似だが、声は全く父似なのだ。だから外部から電話が自宅に掛かってくるとよく父と間違えられた。

「ロマンティック・ロシア」
渋谷の文化村ミュージアムで開催中の絵画展に行ってきた。(写真:R1)R1
ロシアを訪れた時、サンクトペテルブルクの美術館でロシアの絵画は見ていたが、系統立てて観た訳ではないので、今回の絵画展は非常に良かった。(写真:R2)R2
(写真:R3)R3
それでは絵画を見て行こう。(写真:7,18)7-18
左が「イワン。シーシキン作、雨の樫林」。雨が降る樫の林の中を相合傘で歩く男女。ロシア人にとっては森は身近なものなのだ。
右が「コンスタンチン・コローヴィン作、小舟にて」。小舟に乗る恋人たちか。
(写真:10)10
「ワシーリー・バクッシェーエフ作、樹氷」。冬、凍てつく道、太陽の光が輝く樹氷、いかにもロシアらしい風景だ。
(写真:14,4,10)14-4-10
左が、「イワン・クラムスコイ作、月明かりの夜」。謎の女性が佇む。神秘的で理想の女性は魔法の夜を過ごす。
真ん中が、「イワン・シーシキン作、正午、モスクワ郊外」。ライ麦畑が広がる。空が高い。夏の日差しが強い。遠くに教会の尖塔が見える。正にモスクワの郊外だ。
(写真:18,20,19)18-20-19
真ん中は、「ニコライ・グリツェンコ作、イワン大帝の鐘楼からのモスクワの眺望」。クレムリン宮殿だ。クレムリンとは城壁という意味。
右が、「ウラジミール・マコフスキー作、ジャム作り」。郊外のダーチャ(別荘)でジャムを作る老夫婦。
(写真:19)19
(写真:19.13)19-13
右が、パンフレットにもなっている「イワン・クラムスコイ作、忘れえぬ女(ひと)」。冷たい、見下すような視線。長いまつげ、見知らぬ人を見るような眼差しからは何を感じるのか。サンクトペテルブルクの街中での場面で、馬車が描かれるという大胆な構図だ。でも美人だね。凄い美人だ。