「若き血」

J  REPORT2018年 4月第3週目」
「リタイアメント・ノート 9年10ヶ月目」
「VOL.1051号 SINCE AUG.12th、1983」
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「若き血」
昭和46年卒の仲間たちが4月6日に集まる会が「G46」なのだ。古希を迎えたか迎える直前の所謂団塊の世代の我々は、母校の体育会各部のOB・OGたちなのだ。現在母校の体育会の部数は37ある。最古は柔道部、剣道部、弓術部、端艇部、水泳部、野球部等々で、最後の37番目は応援指導部だ。我がアメリカンフットボール部は26番目だ。だがこの会の出席率出席数はトップに並ぶ。今回も5名で柔道部の6名の次だった。今回集まったのは男女合わせて60名。当番幹事の水泳部I君の司会で会が始まり、まずは母校の校歌「塾歌」というのだが、それを皆で歌う。実に清清しい気分だ。誇らしい限りだ。今日のゲストは元日本水泳連盟会長の「佐野和夫」様で、東京オリンピック、パラリンピックへの道を話された。その後懇親会があり、最後に応援歌の一つである「若き血」を大声で歌った。
「若き血に燃ゆる者、光輝みてる我ら、希望の明星、仰ぎてここに、勝利に進む我が力、常に新し、見よ精鋭の集うところ、烈日の意気高らかに、遮る雲なきを、KEIO、KEIO、陸の王者KEIO!」
応援指導部のOBがはち切れんばかりの学生服を着て頑張る。(写真:W1)

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(写真:W2)
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肩組み合って謳う。(写真:W3)
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記念撮影は最初に行った。(写真:集合写真)ガンシップ集合写真2L
私は前から3列目の左から5人目、顔だけ間から出している。抽選の結果、今年から来年に掛けての当番幹事に我が部が選ばれてしまった。また忙しくなる。そうそう、10年後の4月6日に向けたタイムカプセルを作った。果たして10年後はどうなっているのだろうか?期待と不安が入り混じった不思議な感触でした。何を書いたかは秘密。

「小学校のクラス会」
昨年の秋から始まったとのことだったが、年2回のクラス会には私は今回が初参加だ。昭和30年入学し、36年卒業した「横浜市立青木小学校」。私と2つ下の妹も越境入学して電車通学した。聞けばかなりの数の生徒が越境入学した人気校だったのだ。横浜市内では公立校では「青木」「本町」「港北」の3校が成績優秀だと人気があったという。このクラス会の初回である前回は九州や岩手等の遠方から来られた友人もいたというが、私を覚えている人が果たして何人いるのか?恐る恐る顔を出す。まあ50数年も経っているから、面影も何も残っていない人が殆どだろうし、まして私自身も大きく変貌(太った?)を遂げているので分からないだろうね。そんな中でも楽しく飲み食べ話し合った会でした。(写真:クラス会)

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後列中心が私です。そうそう、同級生たちはまず青木小学校の校歌を覚えていたこと、そして横浜市の市歌を覚えていること、驚きでした。私はどちらも覚えていません。ただ私は「横浜開港100年」の歌は覚えていました。他の人は知らないとの事。改めて調べてみたら開港は1859年7月1日(安政5年6月2日)で今年の開港祭は6月1日2日に行われるようだ。ということは100年祭は昭和34年ということになる。それだと4年生の時だが、私には5年生か6年生の時のように思われてならない。漸く分かった。100周年記念事業としての「横浜マリンタワー」が完成したのが、1961年、即ち私が6年生の時に学校の代表として横浜港一周の船に乗ったのだった。これを100年目と勘違いしていたのだった。納得でした。
いつも思うのだが、こういった会に来られる方たちは皆それぞれに成功または安定した人生を送ってきた方々なのだろう。生活苦に喘いでいる人や、人生に失敗した人は決して訪れない。特に女性は年齢より若く美しい人ばかりだ。男性は見掛けなど自分の容姿を余り気にしなくてもよいが、女性はそうはいかないだろう。だから皆幸せそうな顔をしていました。