「嵐が丘倶楽部」

「雑談、第14話」
「嵐が丘倶楽部」
何度かご報告したことがある集まりだが、昭和43年から48年卒の体育会アメリカン・フットボール部の仲間たちだ。平均年齢70歳といったところか。名前の由来だが、東横線日吉駅を下車して、東口からポプラ並木の緩やかな坂道を登る。突き当りが「記念館」だ。創立100周年記念で出来た建物、ここが日吉の丘だ。この丘の100mほど北側に今は理工学部の校舎が建っている丘がある。東京から新幹線に乗り、鶴見川を渡った最初のトンネルがあるのが、この理工学部のある丘なのだ。元々この丘は東西に広がっていて、東側から自動車部、真ん中が我がフットボール部、西側が高校の野球部のグラウンドがそれぞれあった。私も高校3年間と大学3年3ヶ月はここで練習や試合をした。しかし学校の校舎建設が持ち上がり、昭和45年夏に今のグラウンドがある場所に移らされた。元のグラウンドは先輩たちが「嵐が丘」と名付けていた。そして「嵐が丘グラウンド」の歴史は今の新しいグラウンドにその名を受け継いでいる。当時は本当に殺風景な泥のグラウンドだった。だから実にマッチしたネーミングだと思う。大半が社会的現役を引退して暇を持て余している?訳でもないだろうが、私が幹事役を引き受けて、3ヶ月に一回程度集まって、大いに気勢を上げている仲間たちなのだ。(写真:嵐が丘倶楽部)

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