「江戸時代の子供たちの勉強」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?92」
「江戸時代の子供たちの勉強」
江戸では「手習い所」といい、上方やその他の地域では「寺子屋」というのが、所謂お勉強の場だ。元々室町時代から寺などで最初は武士の師弟に教養や学問を教えていたことから寺子屋といったが、江戸時代に入ってからは町人の子供たちに読み書き算盤を教えるようになり広く普及した。江戸だけでも千ヶ所以上あったという。只で教えるところもあったが、普通は束脩(そくしゅう)という入学金として、二朱から一分と砂糖一斤が必要だった。二朱だと大体6000円位だし、一分だと25,000円位だ。謝儀は月に2-300文、今のお金で4-6000円か。他にも盆暮れ、中元、五節句の祝い、寺子屋の炭、油代、改修費、畳替えなども親の負担になったようだ。更に上の学問所に行けばもっとお金が掛かったのだから、子を教育させる親も大変だった訳だ。

「油売り」
別にサボるという話しではない。江戸時代には天秤棒で担いで市中を廻り、油を売る人たちがいた。いくつもの桶を重ねて色々な種類の油を売っていた。「種油」は灯火用、「魚油」も灯火用だが粗悪なもの、「胡麻油」は食用、「荏
種」は油障子などに塗る油、そして「椿油」は女の髪には必需品だ。こういった油を売っていた。灯火油用の種油だと江戸の人たちは一晩中点けている家だと月に一升と八合、一晩で六勺(一勺は一号の十分の一)になる。当時下り酒と油が同じ値段だったというから凄い。一合は42文だというから、840円換算で、一晩六勺で約500円もしたのだ。如何に高いかが分かろう。庶民は暗くなったら、寝るしかなかったのだろう。